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正法眼蔵 洗浄 3

「洗浄」の巻、本文に入ります。

仏教界において真実を体得された諸先輩が守ってこられたところの修行であり体験であるところのものがある。それは不染汙(汚れなし)と言うことの一語に尽きる。仏教界の先輩である中国における六代目の大鑑慧能禅師と、後継者の南嶽懐譲禅師が「仏道の中心は不染汙」であると言っておられる問答がある。

大鑑慧能禅師が弟子の南嶽懐譲禅師に問う
修証(修行と体験)とかと言うものの、ご厄介になることがあるかどうか。

弟子の南嶽懐譲禅師言う
修証(修行と体験)とかというものがないわけではありませんが、それを二つに分けて、修行する事によって悟りが開ける、悟りを開きたいために修行をすると言う事では、真実というものはどこかへ行ってしまいます。

※西嶋先生解説
汚れと言うのはどういうことかと言うと、修行が手段で、体験が目的と考えて、二つに分けて理解することを汚れと言っておられる。そのことは証(体験)と言う言葉は、悟りと言う言葉でよく表すわけだけれども、修行と悟りとが別々であって、一所懸命に修行をするとやがて悟りが得られるというのは、仏教のある種の流派で言っておるところで大鑑慧能禅師も南嶽懐譲禅師も嫌われた。

大鑑慧能禅師は言う
今お前が言った「汚れなし」ということこそ、仏教界の諸先輩がいずれもそれを守りたいと念願してきたところであって、お前もそれを一所懸命勉強しているのであるし、私もそれを一所懸命勉強している、さらにインドにおける仏教界の諸先輩もまた同じ様に「汚れなし」ということを追求してこられた。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅が自律神経のバランスに役立つということがわかり始めたということなんですが、それがわからない前の坐禅のセ-ルスポイントと言うんですか、坐禅の勧め方と言うのは・・・・・。

先生
これがはっきりしてきたのはごく最近だと思います。私が仏教と言う本を書いたのは1968年だったかと思いますが、あれには書いてあるんです。なぜ私がそういう考え方を持ったかと言うと、アメリカの心理学者でカ-ル・メニンジャ-と言う人がいて、かなり有名な心理学者ですが、その人の自律神経の事を書いてある本を私が読んだことがあるんです。それで、仏教の中で「等」ということを言うわけですがね、坐禅によって得られるものとして「等」それから「定」と言うんですけど、「等」とか「定」とかと言う言葉で表されているものが、カ-ル・メニンジャ-‐のいっておる自律神経のバランスと同じではなかろうかと言う推察を持ったわけです。

そのことを仏教と言う本に書いておいたんですがね。その辺の時期から言われ始めたことだと思います。ですから、まだそう古いことではない。ただ医学者の研究によって、大体間違いなさそうだという意見に固まってくる可能性は非常に強いと思います。

※私の独り言。
私も社会的身分は高齢者と呼ばれるようになりました。行政が寝たきりにならない様にと運動の集団指導をしていますが、私は自宅で運動を一人でやる方がよいと思っています。今は任天堂の「Wiiフイット」で筋トレ・ヨガ・有酸素運動などほぼ毎日30分ほどの運動をしています。先生が「坐禅をすることによって自律神経が整えられる。この事はいずれ医学者の研究によって、大体間違いなさそうだという意見に固まってくる可能性は非常に強いと思います」と言われてから、ずいぶんと経ちましたが「Wiiフイット」のヨガの解説で「背骨を伸ばすことで自律神経を整えます」と言うインストラクターの説明を聞いた時は、先生の確かな見識に驚かされました。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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