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正法眼蔵 即心是仏 10

慧忠禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

以上に述べた様な探求の仕方、これこそはまさしく即心是仏(今日の心こそ真実である)と言う思想の実態であり、この様な教えを取り上げて、同じくその瞬間における心が、真実そのものと一体になっている人に正しく伝承するのである。この様に師匠から弟子へ、師匠から弟子へと代々真実と言うものが伝えられて今日に到達した。ではその正しく伝承されてきた心とは一体何であるかと言うと、それは我々が住んでいる宇宙全体である。

個々の事物( 机、畳、柱、等々)であり、そう言う個々の具体的な物の一切が心である。では、畳とか、机とかそう言う物が独立して実在としてあるのかと言えば、それは心の所産に他ならない。客観的な物と心とが、まったく一体になった一つのものが仏教思想である。そこで、過去における先輩達が言ったおられることには、もし人が心と言うものが一体どういうものであるかと言う事がわかってしまうと、大地は大地そのものであって、人間が様々の智慧を働かせて、土であるとか物質であるとかと言う表現は必要ない。大地は大地であり、その上にしっかりと足を踏みしめて、我々は日常生活をやっているに過ぎない。

銘記せよ。人が「こころ」と言うものが何であるかと言う事をはっきり認識した時には、天と言うような概念はすべて急落し、地と言う概念はすべて一斉に裂けてしまう。大地は大地として、現実に我々の目の前に現れてくる。我々の立っている大地そのものが、様子を全く変えると言う事である。それは今までの境地から、つまり「こころ」と言うものが何であるかがわからなかった境地から、全く面目を一新した新しい境地に立つ事が出来る。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
「正法眼蔵」においては死後の世界はないとありますが、時々「天上の神々』とか書いてありますが、この「天上の神々」とは具体的にはどういう・・・・。

先生
これはですね、仏教が生まれる以前に、天上界があって神々がおられるという信仰があったわけです。 それに対する仏教の態度というものは、そういうものは出鱈目だという形で子供っぽい否定はされなかったと言う問題があるわけです。 つまり過去において民衆が信仰していた神々というものを、全部仏教の守護神として仏教の中に取り入れるという事が行われたわけです。 ですから四天王であるとか、帝釈天であるとか、ああいう神々は全部仏教が生まれる以前から古代インドにおいて信じられていた神々であるわけです。

で、そういうものを仏教信仰の守護神としてそのまま残された。 ではその天上界の神々というものをどう理解したらいいのかという事になる訳ですが、そういう神々というものは人間の頭で考える事ができるという事実があるわけです。 ですから実在する、実在しないという問題よりも、人間がそういう問題を考えた場合には神という存在も生まれてくるのであって、そういうものをあえて否定する必要 はないというのが、そういう神々に対する仏教の基本的な立場だと見ていいと思います。
   
ですからその点では、そういうものは存在しないんだと、むきになって否定する必要もないし、そうかといって、そういうものは実在するんだから、それさえ頼りにしていれば人間は誰でも幸福になれるという考え方をするほど、そういう神々を重要視していないというのが仏教の立場だとみていいと思います。 ですからそういう点で、「天上の神々」というものを考えたり、龍など様々な生物が想像できるわけです。


読んでいただきありがとうございます。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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