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正法眼蔵 一顆明珠 5

玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。 

玄沙師備禅師が翌日「全宇宙は一粒の輝かしい珠である、おまえはこの言葉をどのように理解したか」とその弟子に質問した。玄沙師備禅師が質問された意味は、昨日は真正面からの原則論を説いたが今日はきわめて具体的な各論で話をする、昨日のことは昨日のこと、今日はさてどうだと。

弟子がこれに対する答えとして「全宇宙は一粒の輝かしい珠である。理解しようとして何の役に立ちますか」と。この弟子の答えは、泥棒の馬を利用して泥棒自身を追いかける様なものである。相手の言葉のわけもわからずに、そのまま利用して相手に切り返えしたものと言う事が出来る。この様な問答の中で玄沙師備禅師が説かれたのは、独立独歩の言葉であり行動であり決して人まねではない。したがって、単に師匠の言葉を真似するだけではなしに、自分自身の体験として実体がどうかと言う事を見直してみる必要がある。「理屈を言って何の役に立つ」と言う場面は、我々の人生のあらゆる場面において無数にある。その関係を試しに言ってみるならば、高価な煎餅七枚にしても、安価な煎餅五枚にしても、いずれも理解の対象とはならない。しかも、湘之南と潭之北と言う同じ場所を一方の湘水と言う河からみれば南にあたるし、もう一方の潭水と言う河の方から見れば北にあたるという表現と同じように、同一の事物を異なった立場から表現した教えであり言動であるに過ぎない。

玄沙師備禅師が「お前の言葉は口先だけの、頭の中で考えた返事だ。お前はやはり、頭の中で考えた世界に向かって無駄な努力を続けているに過ぎない」と。ここではっきり知っておかなければならない事は、我々が常日頃見ている太陽も月も、昔からいまだかつて変わった事がない。太陽と言う抽象的な言葉と現実の太陽の姿とが、全く一体となってこの世の中に現れている。もし「六月はまさにいい季節ですね」と言った場合、同時に「暑い暑い」と言う訳にはいかない。この輝かしい珠にたとえられる宇宙が、仏道の究極を具えているとか具えていないとか、無限であるとか有限であるとかと言う議論は、言葉によって限定する事のできない広範囲のものである。所詮この宇宙とは何かと考えるならば、玄沙師備禅師が言われた様に「全宇宙は一粒の珠である」と言うしか言いようがないところのものである。
                       つづく--



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅をすれば、百人百色でもって、その人その人の捉え方というものがあってしかるべきだと思います。こうでなくてはならないというふうなパタ-ンにはめ込むものではないと思うんですが。

先生
うん。それと同時に、坐禅の究極というものは誰でも同じです。という事は、我々が「正法眼蔵」を読んでなぜ感激するかといえば、我々自身の中に「正法眼蔵」に説かれてたものと同じものがあるからですよ。我々が坐禅をしたときになぜ気持ちが落ち着くかと言えば、我々の中に坐禅と同じ境地のものがあるからです。それが外に出てくるだけですから。そうすると仏道修行というものは、誰の場合でも結局は同じものだという事が言えると思います。

そうでなければ、我々が道元禅師の心境がわかるはずがないし、釈尊の心境がわかるはずがない、天童如浄禅師の言われていることの意味が分かるはずがない。曲がりなりにもわかるという事は、我々すべてが共通のものを持っているという事です。特に坐禅という修行法を経験した以上、その坐禅という共通の修行法を通じて誰でもが同じものが体験できるというのが釈尊の教えだとみて間違いないです。

それだけに坐禅は有り難いんです。だからそれだけに、坐禅なしに仏道があり得るかというと私は絶対にあり得ないと思う。だから私が「坐禅、坐禅」と言うのはそのためなんです。それと同時に、私が嫌われるのもそのためなんです(笑)。坐禅という事が書いてなければ、仏教書は読み物としては面白い。あいつ(西嶋)の本は、坐禅、坐禅と二言目には書いてあるから読む気がしないというのが実情だと思います。ただ、私は坐禅、坐禅という事を書かないと仏教を書いた事にならないと思うから、人から嫌われるようでも、坐禅、坐禅と言うし、書くし、するしかないんです。それ以外に仏道というのはないですよ。そういう関係があると思います。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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