トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

坐禅と合理主義

仏教では、原因・結果の関係を信じます。理論に合うことが大切で、理論に合わないことはおかしいと言う考え方です。

「世の中が乱れている」
「今の世の中なんとなく不安だ」
「これから、世の中どうなるかわかんない」
「今の時代狂っている」
この様な事を言う人が、そう感じている原因は大体自分自身にあるみたいです。自分の「行い」に関係しているようです。浮気をしているのに、ばれるのではないかとビクビクしたり,酒を飲んで運転するのに、つかまるのではないかとビクビクし、寝る時間に遊び歩いていてからだの調子を心配したりします。

今の結果は、すべて原因があります。今の結果は、どこからともなく湧き出たものではありません。そして、この世の中は理論どうりに成り立っていて、世の中が間違っていると思ったときは必ず自分が間違っていると言えると仏教では主張しています。


読んでいただきありがとうございます。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

FC2カウンタ-