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正法眼蔵 一顆明珠 1

「一顆明珠」の巻、本文に入る前に西嶋先生のお話です。

「一顆」とは、一粒ということ。「明」とは、明るいとか輝かしい光。「珠」とは値打ちのある珠。この「一顆明珠」と言う言葉を言われたのは中国の僧侶玄沙師備禅師と言う方。我々が何か一つの心配事、一つのとらわれというふうなものから解放されて、この世の中と言うものを自然に調和のとれた形で全体的に眺めることが出来る様になると、この世の中と言うのは実にすばらしい世界。そういう状況で眺められた世界のことを、玄沙師備禅師は尽十方世界是一顆明珠(全宇宙は一粒の輝く珠である)と表現された。道元禅師はこの「尽十方世界是一顆明珠」と言う言葉を非常に優れた言葉だというふうにとられたので、ここでその言葉を取り上げてその意味を説明し、道元禅師ご自身の宇宙観を述べておられます。

「一顆明珠」の巻本文に入ります。

地球世界大宋国に住んでいる玄沙師備禅師の出家前の名前は謝であった。在家の頃は、船を南台江という川に浮かべて、漁師をやって生計を立てていた。魚が釣れなくても、悠然とした心境で生きていたのであろう。ところが唐の時代の感通年間初めの頃に、突然出家を希望し船を捨てて山に入った。その時、齢は三十歳であった。この俗世間の生活がきわめて変わりやすく、きわめて不安定なものであるということに気づき、釈尊の説かれた教えの貴とさを知ったがためである。

遂に雪峰山に登り、雪峰義存禅師の弟子になり昼となく夜となく坐禅をした。ある時、様々の地方に出かけて、様々の師匠に会って、様々の勉強をして仏道の究極をつかもうと言う意気込みで旅支度をして雪峰義存禅師の寺から出ていった。その途中で足の指を石にぶつけてしまい血が流れ、その痛さは我慢ならない程であった。その時、玄沙師備禅師は深く反省して言う。「本来仏道では、この我々の体は実在ではないと言われているにもかかわらず、とにかく痛くて我慢が出来ない、この痛さは一体どこから来たのだろうか。自分は仏道の事が少しはわかったと思い、これからは諸方を遊歴していろんな人々に会って、ますます自分に磨きをかけようと思い途中まで出かけたが、今ここで自分は自分自身を一つもわかっていないと言う事に気がついた」と。そこで、すぐさま雪峰義存禅師の寺へ戻った。

すると雪峰義存禅師問う。
乞食坊主の師備とは一体何者だ、どういう人間だ。

玄沙師備禅師答える。
他人様の言う事では、なかなか納得しない困った奴です。

雪峰義存禅師師(この言葉をとても気に入って)言う。
誰がこの言葉を、実際に口に出して言う事が出来よう。

雪峰義存禅師重ねて問う。
乞食坊主の師備よ、修行生活の激しい師備よ、せっかく旅支度をして出かけたんだから、どうして諸国へ行って様々の人に出会って仏道修行をしないのか。

玄沙師備禅師答える
達磨大師はインドからわざわざ中国に来られたが「私が中国に行って仏道を広めてやろう」と言う個人的な計らいだけで、中国に来られたというわけではない。達磨大師の弟子である太祖慧可大師は中国で一生を終えられたが、個人的な計らいではなく、その時代その時代に応じた自然の流れとしてインドに行かなかったまでだ。私も、自分自身の計らいでこの寺はだめ、あの寺ならいいと選択をし仏道修行をするべきではなく、自分の置かれた立場で、自分の置かれた立場に安住して、一所懸命仏道修行をやると言う事が最高の仏道修行であると思いました。だから私もわざわざこの雪峰山から出て、あちこちをうろつき回る事はやめました。

雪峰義存禅師はこの言葉を大変よい言葉だと言ってほめた。玄沙師備禅師は三十歳まで漁師をしていたので、経典とか書物を読んだ事がなかったが、仏道修行の一番大切な志が深かったので、雪峰義存禅師の質問に対して、実に明快な答えが出来たと言える。雪峰義存禅師は、玄沙師備禅師を弟子の中でも特に優れた人間であるとしてほめた。玄沙師備禅師は、一年中同じ着物を着ていたので、着物が破れたら縫う事を繰り返していた。肌には紙衣を使った。艾(もぐさ)も着た。そしてその後は、義存雪峰禅師に師事する以外にその他の師匠を訪ねる事はなかった。

西嶋先生解説
玄沙師備禅師が出家するときの話として本当かどうかは知らんけれども伝えられている話に、玄沙師備禅師は漁師の時に父親と一緒に漁をしておった。ところがある日、ふとしたはずみに父親が「ドボ-ン」と川の中に落ちてしまった。そこで父親が「助けてくれ、助けてくれ」というふうに玄沙師備禅師に頼んだ。玄沙師備禅師は、棹を持って父親をいよいよ引き上げようと思ったんだけれども、引き上げているうちにフットと何か、そういう人間の努力のむなしさと言うものを感じて、父親をほっぱり出して、その足で雪峰山に登って出家してしまったという話が伝えられている。だからそういう点では、仏道を求める志と言うものが非常に激しかったというふうなことが伝えられておる。その父親云々の話自身が本当の話か、作り話か、その辺はよくわからんけれども、一応そういう話が伝えられている。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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