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正法眼蔵 摩訶般若波羅密 10

「摩訶般若波羅蜜」の巻は続きます。

自分(道元禅師)の亡くなった師匠である天童如浄禅師が言われた。
風鈴というものは、体全体が口のような恰好をして空間にぶら下がっている。 東・西・南・北のどこから風が吹いてきても常に音を出す。 どこから風が吹いてきても、いつでも他の人のために般若(正しい智慧)というものを語っている。 その般若とは何かというと、軒先にぶら下がった風鈴の、風に吹かれて「テンチントンリャン、テンチントン」と鳴る音そのものが、正しい智慧を我々に語ってくれる。

天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈です。
この言葉は、釈尊以来代々の方々が伝えてきたところの、般若(正しい智慧)に関する正統な教説である。 風鈴そのものの体全体が般若に他ならない。 またこの言葉を言われた天童如浄禅師の体全体が般若そのものだと言う事も言える。 そして天童如浄禅師、あるいは風鈴を取り巻いている周囲の世界全体が般若そのものである。 東も、西も、南も、北も、この世の一切が般若(正しい智慧)そのものに他ならない。

西嶋先生の解説
これが仏教思想。 だからここに坐っておられる皆さんがすべて般若(正しい智慧)に他ならない。 これは「いや、自分はそんな大それたものじゃございません、遠慮しておきます」と 言っても、逃げるわけにはいかない。 これは道元禅師が言っておられるわけだから。 我々が全部正しい智慧、ただそれに気がつくかつかないかというだけの問題。これが 大きい。 過去において、何億、何十億、何千億、何十兆という沢山の人が生まれては死に、生 まれては死んでいったけれども、それぞれの一生の間に「自分こそは正しい智慧その ものだ」という事を感じた人と、感じないで死んでいった人と色々あるわけ。
  
「こんな世の中、面白くない、俺は一所懸命やったけど、ちっともいいことがなかった、悔しい、悔しい」と思っているうちに一生が終わってしまうという事も決し て少なくない。 ただ我々自身が今日、この世の中に生まれてきた事がいかに尊い事であるか。 頭でもって、なぜ生まれてきたんだと考えてみたって到底考えきれるものではない。 実に不可思議。
  
実に不可思議であるけれども、今日現に、生きてご飯をいただいて仕事をしていると いう事は紛れもない事実。 その紛れもない事実がいかに不可思議なものであり、いかに尊いものであるかという 事に気がつくという事が、般若という事の意味でもあるわけだ。 そういう点では「この世の一切が正しい智慧」に他ならない。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
世間では「般若心経」を私は一日に何百回遍読誦しているとか、暇さえあれば読誦しているとかと言う方が非常に多いんでございますね。それで私、しみじみ考えるんですが道元禅師が「弁道話」の中で「おろかに千万誦の口業をしきりにしても、春の田の蛙が昼夜鳴くようなもので益なし」と手厳しく決めつけておられますが・・・・。その様な判断でよろしいのでしょうか。

先生
ええ。私はそう思います。だからここに書かれておる道元禅師のお考えと言うものがいかに貴重かということを非常に強く感ぜざるを得ない。こういう考え方がはっきり頭に入っておりませんと、お経を唱えると言う様な事に仏教上の意味があると考えられる向きが間々あるわけですけども、「春の葉の蛙の、昼夜なくが如し」と言う表現が、非常に痛烈に真実をついておると思う。「般若心経」を毎朝唱えても、そう利益がないというのが私の実感ですよ。「般若心経」さえ唱えていれば、気持ちが落ち着くんだと、何でも幸福が舞い込んでくるんだというふうな事を、よく言う場面がありますけれども、私はどうもそれは、むしろ仏教と言うものを誤解させると思いますよ。

仏教と言うのは、今日のところに出てきたように虚空(空間)を学ぶというふうなもの。我々の生きている現実と言うのはどういうものかということを体の実感で捉えるということが中心ですから、思想だけではないんですよね。その根源にあるそのものをつかむということ、これが仏道なんです。だからそういう点で、文字に書いたものを声を上げて読むということ、それは他の事をやるよりも多少ましかも知らん。しかしとにかくその程度の事であって、仏道を勉強するという意味のあるものではないというのが私の見方ですね。

質問
実は「「おろかに千万誦の口業をしきりにしても、春の田の蛙が昼夜なく鳴くようなもので益なし」と言う講義を受けましてから、熱心に「般若心経」を唱える方にこの節を引いて説明するんですけれども、「いまいましい話だ」ということで、話が物別れになってしまうものですから・・・・。

先生
ですから、一所懸命やっている人に「それはだめだ」と言う必要もないと思いますけれども、本当のところを言えば、まさにそれが仏道と言うものを理解する上において非常に大切な事です。

※私の独り言。
安保法が可決される今朝方まで、国会中継を見ていたので今日は少し寝不足です。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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ブログ名を「坐禅と暮らし」から 「正法眼蔵=坐禅」に変えました。

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