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正法眼蔵 弁道話 19

十八問答は続きます。

質問-5、答
現代にあっては釈尊の一大事業である、正法眼蔵(正しい宇宙秩序の眼目の所在)、最高の大基準であるところの坐禅と言うものを、禅宗と言う名前で呼んだところから、この様な疑問が生まれてきたのである。はっきり知っておかなければならないことはこの禅宗と言う呼び名は、中国をはじめ東の国で始まったところであってインドでは聞かれないところである。達磨大師がインドから遥々海を渡って中国に来られ、初めて坐禅を中心にした仏道を伝えたのである。

最初、達磨大師が少林寺で九年にわたり壁に向かって坐禅をしていた頃、当時の人々はまだ達磨大師の教えをよく理解していなかったので、達磨大師の事を坐禅を一所懸命にやっている婆羅門(インドから来た僧侶)という呼び方をした。そしてその後、代々の指導者も皆、常時もっぱら坐禅をした。これらの坐禅をする僧侶のやり方を見た当時の俗世間の人々が、真実もわからずむやみにそれらの人々を坐禅宗と呼んだ。現在では、その坐禅宗という言葉の坐という字をさらに省略して、ただ禅宗と言うのである。

この様な趣旨は沢山の先輩方の書かれた本の中に非常にはっきりと書かれている。したがって禅宗とか坐禅宗とかという名前は、当時の人々が勝手につけた名前であり、達磨大師が自分の宗派を禅宗と呼んだわけでもない。あるいは達磨大師の教えを受け継いで一所懸命努力された方々が、自分の宗派を坐禅宗と呼んだり禅宗と呼んだりはしていない。その坐禅は、三度の中の定、六度の中の禅定と同じであろうという誤解が生まれてきた。

達磨大師は坐禅をやることが仏道だという理解のもとに坐禅をやられた。だから三学、六度の中に出てくる禅定というものと同じではない。この様な形で釈尊の説かれた宇宙の秩序、その実体であるところの坐禅が、代々相伝えられていると言う理解の仕方はいずれの時代にも非常にはっきりとしている。釈尊が昔、霊鷲山の教団において、正法眼蔵涅槃妙心(正しい宇宙秩序の眼目の所在、非常に落ち着いた素晴らしい心境)を説かれ、ただ摩訶迦葉尊者だけに授けた儀式は疑うべきではない。はっきり知っておかなければならない事は、坐禅とは釈尊が説かれた宇宙秩序のすべてである。

※西嶋先生解説
仏道と言うのは、本来が坐禅をすることであり、坐禅することが仏道だという教えが、釈尊から摩訶迦葉尊者に伝えられ、それから代々伝えられて達磨大師に伝わり、達磨大師がはるばると海を渡って中国に伝えられた、それがまた中国で代々伝わったということで、道元禅師のお考えでは、坐禅をすること以外に仏道と言うものはないという見方。仏道とは何かといえば、坐禅をした心境から生まれてきた哲学・教えということであります。

だからそういう点では、坐禅をするということが仏道の全体であり仏道の一部ではない、三学の中の一つ、六度の中の一つということではない。ただ世人が誤って、禅宗、坐禅宗と言う言葉を使ったために、何か坐禅が仏教の一部の様に理解される様になったけれども、それは誤りだということを言っておられるわけです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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