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正法眼蔵 弁道話 16

十八問答は続きます。

質問-4
現在わが国に伝えられている法華宗、華厳教は、いずれも大乗仏教の究極のものと考えられている。まして真言宗に至っては大日如来ご自身が金剛薩埵に伝えたものであって、師匠と弟子との間の伝承が非常にはっきりしている。しかも長い時間の修行を経験することなしにほんの瞬間坐っただけで、五人の真実を体得された方々の正しい悟りを得る事が出来ると主張していることは、釈尊の説かれた宇宙の秩序に関しては最も素晴らしいという事が出来る。しかるに、今ここで説かれているところの坐禅の修行には、どのような優れたところがあって、法華宗、華厳教、真言宗等の坐禅をさしおいてひとえにこれを勧奨するのか。


仏教においては、どの教えが優れていている、どの教えが劣っている、どの教えが深い、どの教えが浅いと言う理屈の上で論議はしない。しかし釈尊が教えられた修行方法か、そうでない修行方法かと言う事は明らかにする必要がある。過去の仏教界における諸先輩を見ると、草・木・花・山・川等の自然の環境の中において、そのことが誘因となって釈尊の教えに入っていった例がある。また日常生活で、土・石・砂・小石等を手に握った瞬間に、釈尊の教えが自分自身に伝わったという例もある。

まして釈尊の説かれた(宇宙秩序と言う)広く大きな文字は、我々の住んでいる世界全般に満ち溢れていてどこにでもある。この世の中における最も小さな粒子の中にもそのままそっくり入り込んでいる。釈尊の教えというものは、この世の中全般に具体的に満ち溢れていて、一つ二つの言葉で表現するという抽象的な表現は必要ないものである。たとえば即心是仏(今日只今の心が即ち真実そのものである)という言葉にしても、水の中(小川の水、金盥の中の水等)に映る月そのものではなくて抽象的な言葉で表現された月の影、真実の影に他ならないし、即坐成仏(現に坐った瞬間において仏になる)という考え方も、同じように鏡に映った影のようなもので、この現実の本当の真実というものではない。
西嶋先生解説
じゃ、現実と言うのは何かと言えば、坐禅をした時の状態。頭の中で考えられたもの、文字で印刷されたものということではなくて、現に足を組み、手を組み、背骨を伸ばして坐っている状態そのものが現実。だからそういう現実そのものから離れて、言葉による表現だけでは仏道は伝わらない。

この様に言葉の表現がうまいからと言って、そのことが仏道というものを的確につかんでいるという事にはならない。いま、直接に自分自身が真実になってしまう修行法である坐禅を勧めるのは、釈尊以来一系に伝えられてきた素晴らしい教えを示して、本当の真理探究者にさせようとしていることに他ならない。また釈尊の説かれた宇宙の秩序を伝えるという場合には、釈尊と同じような境地を体験した人を師匠とすべきである。坐禅をやらずに経典だけを読んで仏道の説明をする学者を指導者とすることはできない。仮にそういう指導者に師事して学ぶとすれば、一人の盲がたくさんの盲を指導するようなものである。
        
            質問-4の答は次回に続きます。


          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
法名とか戒名とかと言う、あれはどういう意味があるんでしょうか、本名と違うと功徳が違うんじゃないかなんて言う人があるんですね。それを考えなきゃいけないんです。どこへ置こうか。

先生
私は、打ち割った正直な事を言えば、あれはやっぱりお寺さんの営業政策だと思いますね。つまり、戒名をつけることによる労動力は、きわめてわずかなんです。そうして、報酬はめっぽう高いんですよ。今、戒名と言うのは10万とか20万とかするんでしょう。だから紙っ切れにサラサラっと何字か書くだけで、何十万と言う収入得られる行為と言うのは、非常に少ないと思いますよ、こういう時代にあって。まあそういう事を別にして徳川時代からあった事ですから、もっとそれ以前からあった事なんでしょうから、日本の歴史の中でだんだんに培われてきたことではあると思うんですよね。

だけれども、宗教としての仏教とどれだけ関係があるかと言うと、あんまり関係ないという風に見ていいんだと思いますよ。ただ人が亡くなった時に「迷ってもらっちゃ困る。なるべくいいところへ行ってもらいたい」と思っているやさき、お寺さんに「このくらいの名前をつけなきゃだめだよ」と言われれば、やっぱり「いやお金が惜しいから、やめときます」と言うわけにはいかんと言う人情はありますよね。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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