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正法眼蔵 弁道話 10

道元禅師の弁道話は続きます。

周囲のあらゆる方角に存在する土地、草木、垣根、壁、瓦、小石等、みな釈尊と同じような状態にあるのであるから、そういう物質的な要素を通して影響が周囲に伝わり、その周囲が持っているところの釈尊と同じ様な感化に助けられて、直接の真実をそれぞれが身につける。

そしてこの物質的な影響を受け活用する周囲のあらゆる事物は、本来の体験と言う釈尊の感化と同じものをお互いに影響させ合うので、これらと同じ場所に存在し、互いに語り合うのものの間でも無限の釈尊の持っている性質が具わるようになる。それが何回となく広く広がって、尽きることなく、断絶することもなく、頭では考えられない仏教的宇宙秩序(価値が無限大で評価の対象になり得ない)を、この我々の住んでいる世界の一切に行き渡らせるのである。それは何によって生まれるかと言えば、一人の人がほんのわずかな時間坐禅することによってそういう状態が生まれる。

然あれど坐禅によって本人が、自分の心の中で「さとった」とか「悟らない」と意識する事と坐禅の実体とは全く別のものである。なぜその様に言えるかと言えば、坐禅とは無目的の行為であり、直接体験である。頭で考える、心で感じる、そんなことはいらない。自分で足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしておれば、すぐそのまま直接に感じられ直接に体験できるのである。



          ―西嶋先生の話―
                       --つづき

我々の体は非常に微妙にできておる。何億と言う細胞が集まって体はでき上がっておるのであるから、その100%が全部健康というわけには中々いかない、60%が健康か、70%が健康かということだけであって、健康と言っても程度の問題。ただ己の体を毎日正しい状態に置いておけば、我々の体自体がどんどん健康の方に向って変わっていくという性質がある。特別におかしい虫を飲まなくても、正しい状態に置いておけばどんどん健康になる。

ところが正しい状態と言うのは中々難しい。そこで、坐禅と言う基準が二千数百年前から行われておって、それが伝えられたのが、日本の場合には道元禅師ということになるわけです。我々が健康を維持するという点でも、坐禅を毎日やるということが絶対の決め手ということになろうかと思います。そしてまた、坐禅と言うのは実行ということと関係があるわけです。「やろうかな、やったらいいんだがな」と思っているうちは坐禅にはならないんです。思い切って、足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしておるというのが坐禅。「やろうかな、やろうかな」と思っているのは、坐禅でも何でもない。

そうすると、坐禅と言うのは、実行するかしないかということが非常に大きな問題。だから毎日坐禅がやれるようになるということは、その人自身が非常に実行力ついたということ。非常に簡単な事ではあるけれども、毎日坐禅がやれるようになったということは、その人が非常に物事を実行する能力がついたということであります。このことは非常に大切。頭がよくて、いろんなことを考えるところまでは十分できるのだけれども、実際にやろうと思うと中々できないというのが人間の実情であるとすれば、坐禅を毎日やるということは、実行力がつくということと全く同じことになる。

それから最後に、正しさと一体になるという点について、我々の人生と言うものには一体何の意味があるかと言えば、正しさと一体になっておるということ。それが我々の人生の意味。朝起きて、ご飯を食べて、手洗いに行って、仕事をして、あるいは学校に行って、またご飯を食べて、手洗いに行ってというふうな事を繰り返しているのですが、ご飯を食べたり、手洗いに行ったりすることだけが人間の全てではない。どういう行いをやるかということ、そうして、正しさと言うものと一体になっておるかどうかということが、自分の人生に意味があるかないかということと密接な関係がある。

だからそういう点で、正しさと一体になった生活を送っておるということは、それだけ意味のある人生を送っているということになるし、正しさと別々の生活を送っておるとすれば、せっかく人間として得た数十年の人生のうちの大切な時間を、無駄に過ごしてしまうということにもなりかねない。そういう意味で人生を本当に意味あらしめるという点からすると、坐禅を毎日やるということが非常に大切な事、ということになるわけであります。仏道と言うのはそれしかない。坐禅を毎日やっておれば、仏道の全ては全部具わるということになるわけであります。

※私の独り言。
新国立競技場の建設費はどうなっているんでしょうか。諸外国におけるメインスタジアムの総工費はロンドンオリンピックが約800億円、リオオリンピックが約550億円、北京オリンピックが約500億円、シドニーオリンピックが約680億円、アテネオリンピックが約350億円だったそうです。ところで、毎年医者が高齢者に処方した薬の475億円分が飲まれることなく捨てられているそうです。

理由は飲み忘れ、薬代が無料に近いので飲まないのに不要を言い出さない、薬を飲まないので薬の効果が現れず医者がもっと薬の量や種類を増やすなどの積み重ねだそうです。さて北京オリンピックだったら、一年間の捨てる薬代で何回メインスタジアムが出来るんでしょうね。新国立競技場の建設問題なんて小さい小さい?


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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