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正法眼蔵 弁道話 9

道元禅師の弁道話は続きます。

坐禅をした時に初めて、きわめて常識的な、きわめて平凡な、しかも一番現実的な智慧と言うものが生まれて来るのである。この様な調和のとれた状態と言うものが、今度は向きを変えて(坐禅をしている人に対して)周囲が坐禅をしている人と同じ状態になり、また周囲が坐禅をしている人と同じ状態になることによって、この坐禅をしている人は、体とか心とかと言う頭で出来たけじめと言うものがなくなる。そして今まで沢山ため込んできた色々な知識と言うものが一時中断されて、釈尊が説かれたところの宇宙の秩序と言うものを体験し、それを理解し、これ以上細かく砕くことが出来ない粒子の中にまで、真実と言うものに関する道場(仏道を実践する場所)が出来る。

そこで釈尊が説かれたと同じ様な事態が行われて、真実を得た上で、さらに日常生活を一所懸命やっていく素質の人に影響を与えて、日常生活を一所懸命やっていくという実体を励ます。このように周囲が坐禅をしている人に働きかけることにより、周囲のあらゆる方角に存在するところの実在(土地、草木、垣根、壁、瓦、小石等)、この世の一切のものがすべて釈尊と同じようなことを行う。庭に生えている木も、空に浮かんでいる雲も、ここに立っている柱も、みな釈尊と同じ境涯でそれぞれの役目を果たしている。つまり、ここに柱が一本なければ、ひずみが出来て家が歪む。だから柱は柱で自分の仕事を一所懸命やっているのであり、畳は畳で、人を乗せて一所懸命仕事をしているのであり、この世の中の一切が自分のやるべきことを一所懸命、せっせ、せっせとやっているというのが、この我々の住んでんでいる世界である。



          ―西嶋先生の話―

現代の社会と言うものは、正しさと言うものがなくなった社会だという話を前にしたわけでありますが、考えようによると、正しさと言うふなものがなくてもいいんじゃあないか、と言う考え方もあり得るわけです。ただ、正しさと言うものがないとなぜ困るかと言うと、個人生活だけに限って見ても、正しさと言うものがないと、自分自身の気持ちが落ち着かないと言う問題がある。どういう事を基準にして生きていったらいいかと言う基準がないと、気持ちが落ち着かない。傍の事ばかり気になって、傍の人のなりふりを見い見い毎日を送って行くということにならざるを得ない。人がやっていることは何でもいいように見えて何でも真似をする。そのうちに「どうもおかしかった」ということで、また別の事に熱中する。そのために気持ちが常に落ち着かないという問題がある。

それから、また気持ちが落ち着かないということは体が落ち着かないということ。仏道では「物心一如」「心身一如」と言って、体と心とは同じものの裏表。だから気持ちが落ち着かないということは、体が落ち着かない事。体が落ち着かないということは、健康でないということ。だから正しさの基準がないということは、健康の維持という点でも、長い時間の内には必ず体を壊すというような形にならざるを得ない。そういう点では、毎日僅かな時間でも坐禅をして、自分の気持ちを落ち着け、体を落ち着けるということが健康になるという最大の決め手です。我々の体と言うのは、非常に微妙にできている。だから、一日、一日、正しい状態に置いておくということが、健康を維持し、健康になっていく唯一の決め手と言うふうに考えてもいい。ところが人間と言うのは、案外楽なことをして健康を保とうと思う。

だから非常に滑稽なことがいくらもある。記憶に残っておられる方もあるかと思うけれども、九竜虫と言う虫が流行っておがくずの中に虫を養って、その虫を食べると長生きするという迷信が大真面目に行われたことがある。我々の周囲でも実際に瓶におがくずを入れて虫を飼って、その虫を朝晩飲んでいたという人もある。しかしいつの間にか、あれはどうもおかしいということでやめてしまった。その他、いかがわしい健康法と言うのはいくらでもある。そしてそういう健康法で楽をしいしい健康になろうというのが人間の願い。
                     つづく--

※私の独り言。
昨日は四人の孫に会いに行ってきた。2才3か月になった双子は、女の子、男の子の特徴が出てきて、女の子は男の子に靴を履かせようとしたり見ていて飽きない。一番上の孫は一年生になりすっかりお兄ちゃん。二番目は幼稚園児でまだまだかわいい。夫は手品を見せて、孫に「すごい」と言われて嬉しそう。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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