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正法眼蔵 弁道話 7

道元禅師の弁道話は続きます。

もし人がほんのわずかの時間であっても、釈尊がとられたと同じ様な体の状態をし、釈尊がとられてと同じような口の状態を保ち、釈尊が考えられたと同じような考えを心にもって、坐禅によって得られる境地にきちんと坐る時に、この我々の住んでいる世界の一切が真実と一体になる。故に真実を得てしまった人々は自分の本来の境地を楽しむということをますます盛んにし、真実をつかんだというその素晴らしさをますます発揮する。

西嶋先生解説。
自分自身が正しくなれば、宇宙全体が正しくなる。自分自身が正しい体の状態に置かれると、なるほどこの世界は落ちついておって、「うまくできているなあ」ということが体で実感されるんです。前の晩、酒を飲んで二日酔いで、朝ご飯を食うや食わずで飛び出してということをやっておると、一日中気持ちが騒いで自分自身の気持ちが落ち着かないと同時に、世間全体も落ち着かない、街を通っても、みんなそわそわと落ちつかない状態で歩いている。「さあ忙しい、さあ忙しい、さあ大変だ、さあ苦しい」と言う様な事で、自分の気持ちが落ちつかなければ世間全体も落ち着かない。

自分の気持ちが落ちついている時には、世間全体が落ちついて見える。ゆったりとして見える。だから世間が落ちつく、落ちつかないというのは、」自分の心次第だというふうな面もある。そのことが主観と客観とがぶつかり合ったところに現実の世界があるということとの関係で、ここに出てくるわけであります。自分自身が体も口も心も釈尊と同じ状態に置かれるならば、宇宙全体が釈尊と同じような状態になり、この我々の住んでおる世界の一切が真実と一体になる。

だから宇宙が素晴らしいかどうかということは、自分のあり方次第。普段は「忙しい、苦しい、どうもこの世の中は面白くない」というふうな考え方で生きているという場合も多々あるわけだけれども、自分の気持ちが落ちついてくるとこの世の中と言うのは、落ちついておって、素晴らしいなと言う実感になるわけです。

※私の独り言。
42年間購読していた新聞をやめて半年。新聞を読まなくても困ることはない。勝手に新聞は取るものと思い込んでいただけ・・・・。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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