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西嶋先生の話 第二話

「正法眼蔵」について、西嶋先生の話の続きです。

釈尊は我々の住んでいる世界での生き方と言うものについて、こういう二つの陥りやすい溝があるということに気付かれてその両方から離れるということを主張された。そのことが現実をよく見ろ、現実と言うもの、法と言うものを、それをよく見て、その法に従って生きていくということが、人間にとって唯一の幸福の道だという主張につながったわけであります。

だからあれこれと人間が希望を持って一所懸命夢を描く事は、もちろん大切な人間の営みではあるけれども、その夢を実現させるためには、現実をよく勉強しなきゃならん。その現実をよく勉強したうえで、夢を実現していく。現実と夢と両方自分の中にもって、夢を忘れないと同時に、現実離れした生き方をしないということ、現実をよく見て、現実そのものに教えられて生きていくことが、我々の人生を幸福にする道だと釈尊は説かれた。

そのために何をしたらいいかということで釈尊が我々に勧められたのが、坐禅であります。だから坐禅によって何をしているかと言うと、現実そのものを勉強している。足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしていることが何の意味があるんだ、時間の無駄じゃないか、家で本でも読んだ方が少し利口になるだろう、と言う考え方も勿論あるけれども、我々の人生問題と言うのは、頭でクルクル考えておっても、なかなか解決がつかない。

一つの方法としては、自分の体を法と言う現実の世界の中に正しく置いて、その正しく置いた状態を通して法というものを学ぶ、現実というものを学ぶということ、これが釈尊が説かれたところなのです。そういう現実と言うものが身について来れば、正しさと言うものが身について来れば、それを基準にして自然に自分の体が動く、間違いのない方向に自然に動く。頭の中で考えて、これがいい、あれがいいと言っておっても、善いと思っても、人間と言うのはなかなか実行できない。これは悪いからやりたくない、やめましょうと思っておっても、ついついやってしまうのが人間であります。

釈尊は、むしろ自分自身の体を整え、心の状態を整えて、自然にやることが、法にかなうということ、道にかなうということ、そのことを狙いとされ、そういう生き方が、我々の人生を幸福にする唯一の生き方だということを説かれた。だからその点では、坐禅をするということが、仏教・仏道を勉強するということの中心的な問題になる。そういう意味での現実の世界、あるいは現実の世界を支配している法則と言うものを「法」という言葉で表現された。だから「正法」と言うのは、釈尊が説かれた正しい現実の世界、あるいは現実の世界を支配しておる法則と言う意味であります。

それから「眼」と言うのは、目玉、我々の体で非常に大切な部分。だからその点では、非常に大切な部分と言う意味であります。「蔵」と言うのは、蔵と言う意味で、そういうものがしまってある場所と言う意味です。だから「正法眼蔵」と言うのは、釈尊が説かれた教えの一番大切なものが入っているところと言う意味であります。この「正法眼蔵」をお書きになったのは永平寺の開山、道元禅師。

※道元禅師については、カテゴリ「道元禅師略歴」に詳しく書いてあります。


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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