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西嶋先生の話 第一話

「正法眼蔵」は前回「生死の巻」が終わり一巡しましたが、まだまだ紹介したい先生の話もありますし、さらに「正法眼蔵」を勉強したいと思いますので、新たに「弁道話」の巻からまたブログを始めたいと思います。―幽村芳春―

弁道話の巻に入る前に「正法眼蔵」について西嶋先生の話です。
まず、この「正法眼蔵」と言う本でありますが、「正」とは、文字通り正しいということ。「法」とは、梵語(サンスクリット語)にダ-ルマという言葉があり、それを漢字に訳したものが法と言う意味です。ダ-ルマとは、この我々が死んでいる現実の世界を支配している法則と言う意味もあると同時に、我々が住んでいる現実の世界ということが一つの基準的な意味となっている。

現実の世界をなぜ仏教が尊重するかと言うと、我々には陥りがちな二つの道がある。一つは何かというと、人間の頭の働きをめっぽう大事にする考え方。人間の価値と言うのは何か。頭のいいことだ。本をたくさん読んでいることだ。知識が沢山あることだ。そういう人間の頭の働きというものもかなり大切な事であって、それが人間の文明を進めてきたのではあるけれども、頭の回転だけが人間の価値の全てかということについて、仏教は疑問を持つわけです。頭さえよければ何でも解決がつくかどうかという考え方に対して、疑問を持つわけです。

なぜ疑問を持つかと言うと、人間の頭の中で考えた事と我々の現実の生活とは違った経験をするからであります。我々はよく個人生活で、こうしたい、ああしたい、といろんな希望があるわけでありますが、その希望したことが何時も叶えられるかと言うと、なかなかそうはいかない。現実と言うものが待ち伏せしておって、「おっとどっこい、そうはさせないよ」ということで、現実と言うものをよく見ながら、こうしたい、ああしたいということを考えれば、現実に即した結果が得られるわけだけれども、現実離れしたところで、ああしたい、こうしたいというふうに考えて、それを実現しようとしても、かならず躓いてひっくり返るという問題がある。そうすると、人間の頭の中で考えたことは確かに大切だけれども、それと同時に、現実そのものが非常に大切だということが、我々の日常生活の中で嫌と言うほどわかってくる。

ところが、その現実と言うものが非常に大切だということがわかってくると、今度は我々は別の深みにはまりこむ危険がある。別の深みとは何かというと、「どうせだめなんだ」と言って諦める。現実はままならないんだ、「どうせだめだ」と言ってあきらめて「楽をしましょう、のんびりしましょう、働くよりは寝ていましょう」というふうな考え方になりがち。そういう考え方に陥った時に、多少大人になったという感じを持つ。「一所懸命、くそまじめにコツコツやっているのは、あれはバカだ、子供だ。俺は大人になったから、狡く立ち回って、のんびり、人が苦労している間に楽をするんだ」というふうなところに陥りがちだ。
                        
それで我々の人生のけりがつけば問題はないんだけれども、そういう生き方をしていると、何のために生きているんだかわからなくなってくる。「楽に、楽に」ということを考えているけれども、結構「楽に、楽に」と努力することは難しい。日曜だから朝から晩まで寝ておったら、体がなまってしまって、かえって苦しい。「ちょっと庭の手入れでもしようか」ということにならざるを得ない。だから楽をすること自体も、人間にとって必ずしも楽ではない。

そうすると、じゃ、どうしたらいいのだという問題が起きる。自分の考え方を一所懸命大事に努力してみても、現実につまずく、それじゃしょうがないからと言うんで、現実に流されていればいいかと言うと、生きがいがなくなる。
                         つづく--


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コメント
591:素晴らしい記録です。 by 坐禅好き on 2016/12/13 at 19:59:56

これらの西嶋老師の記録は大変貴重なものではないでしょうか。気長に日々少しずつありがたく拝見させていただきます。

592:Re: 素晴らしい記録です。 by 幽村芳春 on 2016/12/17 at 12:14:41

坐禅好きさん、コメントありがとうございます。

西嶋先生は難解と言われる「正法眼蔵」を、誰にでもわかるように解説してくれてました。
もしも先生の「正法眼蔵」に出会わなかったら、私は釈尊の教えは一生わからなかったと思います。
このブログを書くことによって、いまだに亡き先生の講義を目の前でうけているようです。
これからも「正法眼蔵」はまだまだ続きますので宜しくお願いします。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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