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井の中の蛙大海を知らず

「毎日家にばかりいて、何処にも出かけなければ井の中の蛙になってしまうよ」と言われる事があります。しかし広い世界と言っても、どれくらいをもって広いと言えるのでしょうか。

私は坐禅をする様になって、気が付かないうちに毎日の暮らしが変わりました。子供たちが独立してからは、ここ何年か旅行らしい旅行をしていません。仕事以外で、遠くに出かけたいと思わないからです。出かけるのが、めんどくさい訳ではありません。遠くに出かけなくても、目の前の毎日の変化が私に楽しみを与えてくれます。この楽しみの中で、毎日を暮らしています。

「井の中の蛙、大海を知らず」とは「外の広い世界を知らない、狭い物の見方しか出来ない事」と辞書などには書いてあります。これは荘子の前半の言葉を諺にしたのであり、後半があることはあまり知られていません。

前半で荘子は次のように言います「井の中の蛙、大海を知らず」この事は、自分では広い世界と思っている世界が、違う世界と比べれば狭い世界である。しかし、その世界すらも、別の世界から見れば狭い世界である。だから、自分の世界が一番広い世界だと考えるのは間違いである。
      
しかし、後半で荘子は次の様に言います「物量に限りなし、時はやむ事なし」モノには限りがなく、無限である。無限であるから、比較する事そのものがナンセンス・意味のない事である。時は限りがなく、無限である,無限であるから、昔にこだわったり、未来を心配しても意味のない事である。今、自分が立っているこの大地とこの瞬間に全世界がある。蛙は蛙として井戸の中の隅々を知り尽くし、蛍は蛍として夏の間の隅々を知り尽くす。鳥は鳥として空の隅々を知り尽くし、亀は亀として一生の間の隅々を知り尽くす。どの世界が価値のある世界だとは決して言えない。それぞれがそれぞれの世界を知り尽くす、素晴らしい世界がそれぞれにある。大きい・小さい・広い・狭い・若い・老いているとかではなく、今自分が立っているこの場所で、そしてこの瞬間に一所懸命生きるだけの事だと思います。

この様に考える事は、誰でも考える事ができます。しかし、考え方がわかったとしても、その一所懸命に生きる方法がわかりません。では、どうすれば一所懸命生きることが出来るでしょうか。それは、坐禅しかありません。坐禅は行いです。行いに慣れることにより、一所懸命生きる習慣が身につきます。


読んでいただきありがとうございます。


 
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コメント
300:よろしくお願いします by おおはな on 2013/12/28 at 16:32:35 (コメント編集)

こんにちは
 ひょんなことからこのページにたどり着き、毎日少しずつ目を通しています。坐禅も朝晩30分程度するようになりました。
 井の中の蛙のお話は考えさせられました。今ここの生活をする上で、何にもしない坐禅がとても意味があることが少し分かりました。これからも少しずつ眼を通していきたいと思います。
 よろしくお願いします。

301:Re: よろしくお願いします by UFO on 2013/12/29 at 22:41:30

おおはなさんコメントありがとうございます。
坐禅を朝晩30分程度するようになったとの事、坐禅をする仲間が増えて嬉しいです。
坐禅を一人でも多くの方に始めてもらう事が西嶋先生の願いです。
先生への微力なお手伝いですが、このブログを続けています。
正法眼蔵はまだまだ続きます。
これからも坐禅を続けて、少しづつでも読んでくださいね。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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