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坐禅と行い

お釈迦様は最初に弟子たちにこの現実の世界を四諦の教え(苦 集 滅 道)で説かれました。この教えは非常に難しく考えられ多くの人が色々な本を書いていますが、私にはよく解りませんでした。幸いに西嶋先生の本に出会う事ができ、また先生の提唱で私なりにわかりました。

まず苦諦は、頭で色々と考えた内容に意味や基準・価値を大事にする考え方で「こうしたい、ああしたい」という願い、理想を求める考え方。心を大切にする考え方です。(観念論) 

次に集諦は、五感によって得られる感覚のしげきを大切にする考え方で、当然その対象となる物質を大切にする考え方です。(唯物論)

そして滅諦は、苦諦、集諦から離れもっと自分の人生を根源的に生きると言う考え方、一所懸命日常生活の中で努力して生きると言う考え方です。

最後に道諦は、苦集滅はあくまでも考え方であって現実の生活ではない。

苦集滅の考え方を現実として体感するには坐禅しかありません。苦集滅諦までは頭で考えれば思想として理解で来ますが、道諦だけは坐禅をする以外に理解する方法がありません。

お釈迦様は「自分も他人もお互いに傷つかないで、間違いを起こさずに生活するには、坐禅をして自分の体と心を調整していれば自然と間違いをおこさなくなる」と教えています。この教えを信じ、私は毎日坐禅をやりながら日常生活を送っています坐禅は本当に安楽の法門だと思います。  


読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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