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2015年10月のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 即心是仏 4

    セニカ(先尼外道)の主張に関連して西嶋先生の話です。ここで説かれているセニカの考え方は、決して仏道ではない。西洋流の考え方は、精神と物質とに分ける。つまり、物質的なものを否定して、本当の実在は心だ魂だと言う考え方が、古代ギリシャ、ロ-マの時代から存在する。近代では、カント・フィヒテ・ヘ-ゲルなどドイツの観念論者と言われる人々は、いずれも魂というもの、精神と言うものをこの世の中の中心に考えた。セニカの...

  • 正法眼蔵 即心是仏 3

    セニカ(先尼外道) の主張は続きます。「我々の住んでいる世界には精神と言うものが満ち溢れているから、その中で偶々そういうものから外れたところの様々な現象と言うものがあったとしても、その精神的なものと密着した智慧が発現すると、物質とか客観世界が全部ないものと受け取られて、その霊妙な精神の働きだけが明々白々として厳然として存在している。人間が仮に死んで、死体を焼き場で焼いて骨にしてみても、魂は生き残って...

  • 正法眼蔵 即心是仏 2

    「即心是仏」の巻、本文に入ります。釈尊以来たくさんの祖師方が、例外なしに保持してきた唯一の教えは即心是仏(現在の心がそのまま仏である)という思想である。これは釈尊以来代々受け継がれてきたのであるから、単に中国だけでなしにインドにも当然あった教えであるが、ある学者はインドでは「即心是仏」という思想はなかったと説く。この教えを聞いて、多くの人々が、中国で初めて生まれた思想だと考えるところから、どこが間違...

  • 正法眼蔵 即心是仏 1

    「即心是仏」の巻、本文に入る前に西嶋先生のお話です。「即心是仏」の即は即ちということで現在と言う意味で、心はこころ、したがって即心と言うのは、現在の心と言う意味。是は何々であるという意味、仏というのは仏、真実ということ。だから即心是仏とは、現在の心がそのまま仏であるという意味。我々は、仏道とか仏と言うものを考える場合に、えてして抽象的に考えがちである。だから仏道の真実と言うものは、お経の中に書いて...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 10

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。本来の状態が何であるかがよく解っていると言う事は、初めも終わりも正しい状態である。その場合こそ「輝かしい珠」が、その姿そのものを語っている。そういう状態の眼目とは何かと言えば、この玄沙師備禅師が言われた「輝かしい珠」と言う事に尽きる。しかしながら、自分自身も自分自身を取り巻いている客観的な世界も、一体この玄沙師備禅師の言われた「輝かしい珠...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 9

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。我々は日常生活において様々の事を考え、様々の事に疑いを持ち、「あれがいい」とか「これが悪い」とかと言い、自分自身の狭い考え方で駄目だとかいいとかというふうに考えているに過ぎない。そしてまた、たまたまそういう狭い量見で、この宇宙とはどういうものかというふうに考えてみたに過ぎない。我々がどう考え様とこの宇宙は素晴らしい存在であり、我々自身もま...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 8

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。我々は仏道の究極を早く得たいと思い「まだ得られない、まだ得られない」と考えているけれども、我々の人生そのものが仏道の究極と一体のものであり、すでに恁麼(言い難き何ものか)が我々に具わっている。このすでに言い難き何ものかが具わっているということは、別の言葉でいえば、この宇宙と言うものが実に素晴らしい珠のような価値のある世界だということがしみ...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 7

    「玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。 この宇宙は客観的な世界だけではなく、この中に日々活動して真実を求め、真実を究めている様々な人間がいて、それらを含んだところの宇宙である。この様な状態においては、素晴らしい珠と言うものが、ある場合には、空間にある、ある場合には人の衣の中にある、ある場合には顎の下にある、ある場合には髪を結んだ中にある。様々の場所に様々の形で、一粒の輝かし...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 6

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。 この宇宙とは何かと考えるならば、玄沙師備禅師が言われた様に「全宇宙は一粒の珠である」と言うしか言いようがないところのものである。ここで 玄沙師備禅師は「一粒」とだけ言われて、二粒、三粒と言うふうに個別にこの宇宙を分けて表現せず、宇宙全体がたった一つの正しい宇宙秩序を具えた眼の玉であり、宇宙全体が直ちに真の実在であり、宇宙全体が直ちに一つ...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 5

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。 玄沙師備禅師が翌日「全宇宙は一粒の輝かしい珠である、おまえはこの言葉をどのように理解したか」とその弟子に質問した。玄沙師備禅師が質問された意味は、昨日は真正面からの原則論を説いたが今日はきわめて具体的な各論で話をする、昨日のことは昨日のこと、今日はさてどうだと。弟子がこれに対する答えとして「全宇宙は一粒の輝かしい珠である。理解しようとし...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 4

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。  あの木・この木・あの草・この草という個々の事物だけが、我々の住んでいる世界の全てではない。 そうかと言ってもっと大まかに、この宇宙全体の自然と言うような事を頭の中で抽象的に考えてみても、宇宙そのものはつかまらない。 玄沙師備禅師が言われた「輝かしい珠」と言う表現が実に実感としてはぴったりくる。「我々仏道を学ぶ者としては、どのように理解し...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 3

    玄沙師備禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。   ではこの宇宙とはどういうふうにとえられるかと言えば、物質の世界を一所懸命追い回してそれが自分自身だと考える。また自分自身を追い回して、それが結局は物質だと感じとる。宇宙とは、そういう日常生活の積み重ね以外の何物でもない。それが無限に続いていくと言うのが我々の日常生活そのものである。我々人間は、感情を持った動物であり、ものを考える事に...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 2

    玄沙師備禅師は雪峰義存禅師峰に師事する以外に、その他の師匠を訪ねることはしなかった。しかしながら師匠の説かれた教えを受け継ぐだけの力が具わっていた。そして真実と言うものをつかんでからは人に教えた。玄沙師備禅師言葉を示す。この宇宙全体は、一粒の輝かしい珠に他ならない。我々の住んでいる世界は実に素晴らしい。僧問う。今示された言葉を、我々学人はどのように理解したらよろしいでしょうか。玄沙師備禅師言う。我...

  • 正法眼蔵 一顆明珠 1

    「一顆明珠」の巻、本文に入る前に西嶋先生のお話です。「一顆」とは、一粒ということ。「明」とは、明るいとか輝かしい光。「珠」とは値打ちのある珠。この「一顆明珠」と言う言葉を言われたのは中国の僧侶玄沙師備禅師と言う方。我々が何か一つの心配事、一つのとらわれというふうなものから解放されて、この世の中と言うものを自然に調和のとれた形で全体的に眺めることが出来る様になると、この世の中と言うのは実にすばらしい...

  • 正法眼蔵 現成公案 10

    道元禅師の説示は続きます。ある時、麻谷山の宝徹禅師が扇を使っていた。そこへ僧侶がやってきて質問した。僧問う空気は、どこにでも存在し、空気の存在しない場所はないというのが空気の性質とされています。和尚はわざわざ扇を使わなくても、空気はどこにでもあるのですから、その空気に当たれば涼しいはずなのに、扇を使うことは理屈に合わないと思います。どのような理由から扇を使われるのですか。宝徹禅師言うお前はただ、空...

  • 正法眼蔵 現成公案 9

    道元禅師の説示は続きます。この行動の世界、この行動の場所というものは、抽象的に、それは偉大だとか、それはちっぽけだとか、言葉で表現できる様な世界ではなくて、もっと現実的な、もっと直接の場面である。自分自身だとか、自分以外なものだとか、主観だとか、客観だとかと言う風な論議だけで、割り切れたというふうに思っているわけにはいかない。この世界あるいは我々自身と言うものが、過去から恒常的に存在しているという...

  • 正法眼蔵 現成公案 8

    道元禅師の説示は続きます。魚が水の中を泳いでいく場合に、その水に限界があるわけではない。鳥の飛ぶ空間もほとんど無限といってもいいほど広い。鳥が飛ぶ場合にも、空という場所を離れて鳥の存在というものはない。鳥が空を飛んだ場合に、鳥が広範囲に飛べば、それだけ空が広い事が確認できる。魚が長い距離を泳ぐならば、水がそれだけ広範囲であると言うことが実際に確認できる。行動範囲が広ければ世界も広くなり、行動範囲が...

  • 正法眼蔵 現成公案 7

    道元禅師の説示は続きます。自分の体、自分の心に宇宙の秩序というものがまだ十分に行き亘っていないうちは、すでに宇宙の秩序が自分の体、自分の心に行き亘った様に感じられる。人間が完全に出来上がってもう十分という状態になると、なんとなく何かが欠けているような感じがするものである。たとえば船に乗って、山や陸地が全く見えない海の真っただ中に出て四方を眺めてみると、ただ海が丸く見えるだけでその他には何も見えない...

  • 正法眼蔵 現成公案 6

    ※西嶋先生の解説から始めます。この「現成公案」の巻の「現成」とは、現に目の前にあるという事。「公案」とは、法という事で我々が住んでいる宇宙。現に目の前にある宇宙というものがどういうものかという事を道元禅師がお書きになった書物です。ここではよく仏道で「悟り、悟り」と言われているけれども、その悟りとは一体どういうものかということを説明しておられます。本文に入ります。人が悟りの状態に入ったと言う事は、水...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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