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2008年08月のエントリー一覧

  • 坐禅と仏

    チーンと鐘の音が聞こえ坐禅が始まる。坐禅を始めれば仏の世界にはいっていく。坐禅をしている状態・行いの世界がそこにはある。仏の世界である(仏の世界は行いの世界である)仏の世界は生きとし生けるもの全てに必ず有るもので、坐禅をすればすぐに現れる。坐禅をする事は、毎日家庭風呂に入るようなものだ。坐禅をしない事は、一人一人に風呂が有るのにそれを使わない事と同じだ。仏の世界は遠くの秘湯ではない。しかし、多くの...

  • 坐禅と「おれおれ詐欺」

    最近はだいぶ少なくなったようですが、電話でどこの誰かもわからない人にお金を振り込んでしまう人のことが新聞に載っています。だまされる人がいなくなれば、だます人もいなくなるのに・・・と思います。「息子さんが事故をおこした。お金を振り込めば事件にしない」とか、「会社のお金を使い込んだ、お金を振り込んでくれ」とか言われ身内の犯罪行為をお金で解決しようとする。その考え方が騙されるモトだと思います。以前、西嶋...

  • 坐禅と合理主義

    仏教では、原因・結果の関係を信じます。理論に合うことが大切で、理論に合わないことはおかしいと言う考え方です。「世の中が乱れている」「今の世の中なんとなく不安だ」「これから、世の中どうなるかわかんない」「今の時代狂っている」この様な事を言う人が、そう感じている原因は大体自分自身にあるみたいです。自分の「行い」に関係しているようです。浮気をしているのに、ばれるのではないかとビクビクしたり,酒を飲んで運...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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