トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

カテゴリ:・虚空のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 仏教 26

    このような形で青原行思禅師に対して石頭希遷禅師が礼拝した動作、南嶽譲懐禅師が師匠から仏教の大意というものを聞かれたときに「言葉で表現しようとするとどうもぴったりしません」と言われた言葉、玄沙師備禅師が「一切要らない」という主張をされた、このような思想を実際に行動の上で、言葉の上で取り上げて、実際に活用することができるという事は真実をつかんだ人にだけできる事である。その当事者が一人の人間として堂々と...

  • 正法眼蔵 仏性 69

    潙山禅師と仰山禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。仏性(仏としての性質)を明白に現わすとは、片一方の目を開くことなのであろうか。片一方の目を失ってしまうことなのであろうか。つまり、片目の人がもう一つ目をつけて、両目でものが見える様になった状態と言うべきなのであろうか。あるいは、片目の人が、余分な目をつぶしてしまって目の見えない状態になった時に、一切が見えてくる状態なのであるうか。このどちらの...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。 コメントお待ちしています。

FC2カウンタ-