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カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 眼睛 7

    洞山良价禅師と雲巌曇晟禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます雲巌禅師が「眼の玉を得たいという境地そのものが眼の玉ではなかろうか」と述べられたけれども、その言葉の意味は、仏道におけるものの見方が仏道におけるものの見方自身を得たいと希っている状態である。そのことは仏道におけるものの見方がそのまま現にあるという事を表現するためであり、現に水が眼の前にあり川として流れているという現実の情景を意味するの...

  • 正法眼蔵 眼睛 6

    洞山良价禅師と雲巌曇晟禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。雲巌禅師が、「お前は仏道にかなった眼がある。一体どこに向かってその眼をつけておるのか」と言われた言葉の意味は、仏道におけるものの見方が具わっているという事を意味している。この様な意味で雲巌禅師は「一体どっちに向けてつけているんだ」と言われたのであるし、洞山禅師は「自分にはとても仏道にかなったものの見方はありません」と言われたのである...

  • 正法眼蔵 眼睛 5

    洞山良价禅師と雲巌曇晟禅師の問答について道元禅師が注釈されます.洞山禅師と雲巌禅師との間に行われた問答から考えてくるならば、どこから見てもはっきり見えるような形で仏道を学ぶという事は、この洞山禅師の様に仏道における眼睛(ものの見方)を得たいとお願いする事である。坐禅堂で坐禅の修行をし、法堂における正式の説法を拝聴し、師匠の個室に出向いて細かい質問をする事が仏道におけるものの見方を師匠にお願いして自分...

  • 正法眼蔵 眼睛 4

    洞山良价禅師が雲巌曇晟禅師の教団で仏道修行をしていたときの問答です。洞山禅師言う。和尚さんにお願いして、仏道におけるものの見方というものを得たいものです。雲巌禅師言う。お前自身の眼は一体誰にやってしまったのか。洞山禅師言う。いえいえ、私は仏道修行がまだ未熟ですから、それなりの眼というものを持ち合わせていません。雲巌禅師言う。いや、お前は確かに眼を持っている、仏道修行によって得られるところの眼をはっ...

  • 正法眼蔵 眼睛 3

    天童如浄禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。ここで天童如浄禅師が言う自分とは、それはまさに仏道における真実を得た人という事を意味している。この様に考えてくると、仏道の悟りを得たという事が特に必要なわけでもないし悟らなくてもいいという事でもない。何かが現れてくる前とか、現れてきた後とかという、何かが現れてくるという事が大事なのではない。現在のこの場所において釈尊が持っておられた「ものの見方」...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。毎日自宅で坐禅をし愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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