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カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 都機 3

    「都機」の巻、本文に入ります。様々な月が具体的に大空に輝いているという事を取り上げた場合に、過去において満月もあった、半月もあった、三日月もあった。昨日も月が出ていた、一昨日も月が出ていた、一昨昨日も月が出ていた。明日も月が出る、明後日も月が出る、明々後日も月が出る。今後とも満月の場合もあろうし、半月の場合もあろうし、三日月の場合もあろう。過去においても様々な月が個々にあったし、今後も様々の月があ...

  • 正法眼蔵 都機 2

    「都機」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話は続きます。いずれにしても、仏教哲学において主観と客観との相互関係と言うものは大変重要な意味をもっておりますので、この「都機」の巻でもその事が論議されていると、こういうことが言えるわけであります。しかもこの主観と客観との関係につきまして、西洋哲学の場合には主観の方に中心をおいて問題をすべて説明するか、あるいは客観の方に中心をおいて問題をすべて説明するかと言う...

  • 正法眼蔵 都機 1

    「都機」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。まず表題の説明から申し上げます。都機(つき)と言うのは、漢字を使ってその音によって日本語の言葉を現すと言う方法がとられているわけです。ご承知のように、日本の古い和歌の本「万葉集」の中には、漢字ばかり並んでいるわけです。その漢字が今日の片仮名とか平仮名と同じ様な役目をしまして、日本語の発音を表す事に役立っている。したがって、そういう漢字による仮名の事を万葉...

  • 正法眼蔵 全機 9

    圜悟克勤禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。雲巌禅師が「観音菩薩」に関する質問をした時に、道吾禅師は「我々の人生というものは、人が夜中に夢うつつの中で手を後ろに回して枕を手探りで見つける様な(無意識な本能的な)動作であろう」と答えた。これは数で数える事の出来ない様な無数の神秘的な働きや輝きと言うものがこの世の中にあり、我々の生き死にの中にあればこそ現実に生まれてくるところである。この様な実態...

  • 正法眼蔵 全機 8

    圜悟克勤禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。我々の住んでいる世界の実態を考えてみるならば、たった一つの大地というものがあり、たった一つの空間と言うものがあって、そのたった一つの大地、たった一つの空間の中で生きるという事も全機能の発現をし、死ぬと言う事も全機能の発現をすると言う形のものではない。つまり大地とか空間とかという客観的な世界が一つのものとして、基準としてあって、その中で生き死にがあ...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名 幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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