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カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 恁麼 7

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。真実を得るという事、真実を得ないという事、さらに迷うという事、迷いを見失ってしまうという事、真実によって拘束され、迷いによって拘束されるという様々の状態に関連して、これらは全て具体的な問題に原因を発して倒れた場合には、具体的なものを根拠としてもう一度立ち上がるしかないと言う基礎理論を述べているのである。これが天上天下において通用する真実の教えであ...

  • 正法眼蔵 恁麼 6

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。昔から言い伝えられ、インドから言い伝えられて来た言葉がある。それは「仮に地面において倒れた人はやはり地面を頼りにして起き上がざるを得ないという事であり、地面とは関係なしに起き上あがろうとしてみても、それは決してできないという事が原則である」ということである。ここで言っている言葉の意味は、地面において倒れた人は必ず地面を基礎にしてお起き上がらなけれ...

  • 正法眼蔵 恁麼 5

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。この様な言葉では表現できない何かと言うものは、真実を得た人の頭でも考える事ができないし、我々の心で考えようとしても考える事ができないし、宇宙の大きさで考えようとしても考える事ができないし、我々の住んでいる世界全体で考えようとしても考える事ができない。我々の置かれている実情とは、すでに言葉では表現することのできない何かであるのだから、どうして言葉で...

  • 正法眼蔵 恁麼 4

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。我々自身が言葉では表現できない何かであると言う事実を知るべきである。一体何によって我々が言葉では表現できない何かであると知る事が出来るのであろうか。我々は日常生活において、どういう根拠かわらないけれども、突如として言葉では表現できない何かが得たいと言う気持ちを起こす。その様に言葉では表現できない何かを得たいと言う気持ちを起こす事が、自分...

  • 正法眼蔵 恁麼 3

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。体というものを考えてみても、体自身がすでに個人的な存在ではなく、生命は時間の経過とともに変化して、ほんの僅かの時間も停止させることはできない。年若かった頃の輝かしい顔は一体どこに隠れてしまったのであろうか、それをもう一度見つけようとしても、どこにそれを見つけたらいいのかわからない状態が我々の人生である。よくよく考えてみるに、過去における出来事とい...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。 コメントお待ちしています。

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