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カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 行持(上) 7

    現在の瞬間において、花が咲いたり葉が落ちたりするという我々の周囲の出来事というものも、いずれも我々の行いと言うものがあればこその現実である。我々が持っている人間としての本質を磨くという事も、人間としての本質を破壊してしまうという事も我々がどういう行いをするかということによって一切が決まる。以上のような事情からすれば、ある人は行持(清い行い戒律の保持)は嫌だからやめておこうと考える。また別の人は行いを...

  • 正法眼蔵 行持(上) 6

    清い行い戒律の保持がどの様な形で実現するかということを考えてみると、我々が現在行っている清い行い戒律の保持というもの以外に、清い行い戒律の保持というものが別にあるわけではない。いま自分自身が清い行いをし戒律を保持しているという事は、自分自身に本来すでに具わっているものでもなければ、自分自身という主体があって、そこに清い行いや戒律の保持が出たり入ったりしていると言う事ではない。現在という時間「いま」...

  • 正法眼蔵 行持(上) 5

    しかしある場合には、その様な清い行い戒律の保持に関する内容と言うものは、何時でも我々の目の前に姿を現すと言う形のものではないから、そうした場合には、我々はそれを眼で見たり、耳で聞いたり、体全体で触ったりする事はできない。ただしこの場合にも、清い行い戒律の保持というものは存在しないという事ではなくて、明々白々としてこの現実の世界に存在するのであると学ぶべきである。なぜならば清い行い戒律の保持は、見え...

  • 正法眼蔵 行持(上) 4

    清い行い戒律の保持によって、真実を得た方々の相互の間で、ある場合には真実がこの世に存在し、ある場合には真実を超越し、ある場合には真実を心に帯し、ある場合には真実をしっかり掴むという様々な行いが中断されずに続いて今日に至っているのである。この様に清い行いをし戒律を保持する事によって、太陽も月も星も存在の意味を見出すのであり、我々の住んでいる大地も空間も存在するのであり、客観、主観、肉体、精神と言う二...

  • 正法眼蔵 行持(上) 3

    この宇宙というものは、われわれ人間が行動する時に初めて実在としての意味を持つ。この基本的な考え方とは、あらゆる方角に広がっている一切の大地、一切の空、一切の世界というものがすべて、自分自身の清い行いや戒律の保持によって大きな影響を受ける。※西嶋先生解説この事は、人間が一人で正しい行いをやるならば宇宙全体が正しくなり、人間が清い行いをするならば宇宙全体が清くなるということを言っておられるわけでありま...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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