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カテゴリ:11・有時のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 有時 17

    帰省禅師の言葉について道元禅師の主張です。従来たくさんの先輩の方々が、時間について前述のように色々言っているけれども、自分自身(道元禅師)として、さらに何か言わないでそのままにしておく事ができようか。自分の言葉として言うならば、「意欲や言葉が半ば充実しているのも、現実の時間においてであり、意欲や言葉が半ば充実していないのも、やはり現実の時間においてである」と。この様に参究してしかるべきである。また別...

  • 正法眼蔵 有時 16

    帰省禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。意欲とは、独自の存在としてあるに他ならない。言葉も独自の存在としてあり、他人によってつくられるとか生まれてくるというものではない。障害も独自の存在であって、何ものかによってつくられるというものではない。障害は障害そのものとして現実に姿を現しているのである。様々のものが独自の存在であるけれども、共通して言える事は時間において行われている。障害とは他の存...

  • 正法眼蔵 有時 15

    江南省葉県の帰省禅師は臨在義玄禅師の孫弟子にあたる方であり、首山省念禅師の正統な後継者であった。帰省禅師は、ある時たくさんの僧侶を前にして説法して言われるには「ある時は考え方はまとまっていながら、それが言葉となって出てこない。ある時はいい言葉が浮かんできたけれども、自分の気持ちが充実していない。ある時は自分の気持ちも充実し、それを表現する言葉も整っている。ある時は自分の気持ちも充実していないし、そ...

  • 正法眼蔵 有時 14

    薬山惟厳禅師と馬祖道一禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。善い(肯定される)とか悪い(肯定されない)とかと言っても、それがすべて我々の人生における時間として行われているに過ぎない。山というものが客観的にあっていつまでも動かないものではなくて、現在の自分の人生における場面としてあればこそ山もある。山も時間においてある。海も時間においてある。時間においてでなければ、山も海も存在するはずがない。一人...

  • 正法眼蔵 有時 13

    薬山惟厳禅師がある時、石頭希還禅師の指示で馬祖道一禅師に参じて質問した。薬山惟厳禅師問う。私は様々の形における仏道修行、あるいは経典の説いている教えの概略と言うものはわかりました。しかし何が一体、達磨大師がインドからはるばる中国に来られた真意でありましょうか。馬祖道一禅師答えて言うある時は人をして揚眉瞬目させ、ある時は人をして揚眉瞬目させない。ある時は人をして揚眉瞬目させることが肯定され、ある時は...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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