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カテゴリ:63・徧参のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 徧参 17

    天童如浄禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。我々の現実の生活というものは瞬間的なものであって、今あったものが瞬間的に去っていくし、またこの場面にはすでに別のものが来ているという状態が我々の現実の生活であり、現在の瞬間瞬間であって、そういう瞬間と瞬間との間には全く隙間がないという事が実情であるけれども、そのような状態が体全体を使った徧参(徹底した参究)であり、釈尊の説かれた真実の全てが現実のも...

  • 正法眼蔵 徧参 16

    天童如浄禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。徧参(徹底した参究)とは何かというならば、具体的にはひたすら坐禅をすることであり、それによって体というものの意識、心というものの意識から抜け出すことである。その点では徧参(徹底した参究)も坐禅をすること以外にはありえないし、坐禅をすることによって体を脱落する、心を脱落する(心身脱落)という事が徧参(徹底した参究)の意味である。※西嶋先生解説「心身脱落」と...

  • 正法眼蔵 徧参 15

    天童如浄禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。どこにでもあるような場面を自分の体全体を使って脱け出し、大道の境地に入っていく場合には取り立てて別のことを使うわけではなくて頭の働きを超越することである。自分の生命そのものの中に入り込むことである。頭の中で考えることから抜け出し生命そのものの中に我が身を置くという事は、いずれも仏道を勉強することの実体である。頭の中における様々な問題から抜け出して...

  • 正法眼蔵 徧参 14

    天童如浄禅師の説法について道元禅師が注釈がされます。今ここで述べた正式の説法における言葉は、自分の亡くなった師匠である天童如浄禅師が当時、健康府の清涼寺において住職をしていた時、諸地方の長年の仏道修行者が参集してきたときのものである。これらの長年の仏道修行者達とは、ある者については師弟の関係であったし、ある者については同輩であった。この様に諸地方の長老方でありながら、しかも旧くからの友人であったの...

  • 正法眼蔵 徧参 13

    亡くなった自分(道元)の師匠である天童如浄禅師のところへ、ある時中国の諸地方から長年の仏道修行者が参集して、法堂における正式の説法をお願いした際に正式の説法をして言われた。釈尊の説かれた偉大な真実は人の入ることを閉ざす門そのものがない。釈尊が説かれた真実には誰でも自由自在に入れる。諸君の頭の中で考えられた境涯というものを飛び越えて、我々が生きている空間の問題とは別の境地で釈尊の説かれた偉大な真実が自...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。毎日自宅で坐禅をし愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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