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カテゴリ:1・弁道話のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 弁道話 34

    「弁道話」の巻は続きます。総じて我が国は大海の東に位し、インドや中国から見ると雲や煙を隔て非常に遠い国ではあるけれども、欽明天皇、用明天皇の時代の前後から、仏教が西方から伝わってきた事は日本の人々にとって幸せな事であった。しかしながら、頭で考えた事や見聞きした事についての哲学論議は盛んであったけれども、実際の修行を一体どうすればいいのか見当もつかなかった。ところが今は、自分(道元)が中国から坐禅と...

  • 正法眼蔵 弁道話 33

    十八問答は続きます。質問-18、答の続きです。また釈尊の教えが、この我々の住む広大な世界に広まって以降も、わずか2000年ちょっと経っているに過ぎない。しかも国土は様々であって、必ずしも仁智(慈悲心や智慧に富む)国ばかりではない。また人々も必ずしも智慧の優れた聡明な人ばかりであろうか。しかしながら釈尊の正しい教えは、元来私たち人間の頭では考えも及ばない様な偉大な力を具えていて、時期が到来すると必ずその国...

  • 正法眼蔵 弁道話 32

    十八問答は続きます。質問-18インドにおいても中国においても、人間が元来質朴であり素直である。これはいずれも文化の中心国であるためであり、これらの国の人々は、釈尊が説かれた宇宙の秩序を教えて指導すると、非常に早く理解し仏道に入る。ところが我が国は、昔から人に対する情けも乏しいし、ものを理解する智慧も少なくて仏教を理解する上での正しい素質というものが中々具わりにくい。これは我が国が中国やインドに比べる...

  • 正法眼蔵 弁道話 31

    十八問答は続きます。質問-17インドや中国の古今の様々な話を聞いてみるに、中国の香厳智閑禅師は、竹の音を聞いて仏道がわかった。霊雲志勤禅師は、花の咲き乱れている情景を見て釈尊の教えが何であるかに気がついた。まして釈尊は、ある朝、坐禅をしていて、明けの明星が西の空に輝いていたのをふと目にされた時に、自分自身も自分を乗せている大地も、またその大地に生きている草や木も、鳥も、獣も一切が真実を得た。一切が仏...

  • 正法眼蔵 弁道話 30

    十八問答は続きます。質問-16、答の続きです。この事例から「自分自身が真実そのものである」と頭の中だけで理解するということでは、釈尊の教えがわかったということにはならないということがはっきり知れる。もし「自分自身がすなわち真実である」と、頭の中だけで理解することが釈尊の教えであると法眼禅師が理解しておられたとするならば、法眼禅師は前に使っていた「丙丁童子来求火」と言う言葉をそのまま使って、則公監院を...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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