カテゴリ:52・密語のエントリー一覧
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正法眼蔵 蜜語 17
雪竇智鑑禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。花があり雨が降ると言う事態と、我々が世界の中に住んでいる事とは同じ事実である。ここで自分の師匠の師匠である雪竇智鑑禅師が言われている言葉は、感覚的に捉える事のできる外界は見えない様にされているが、それに伴って内からにじみ出る実体がますます鮮明になってくるという事情を伝えている。この様な内容的なものが外見として現われ、外見と言うものの中に内容が隠さ...
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正法眼蔵 蜜語 16
自分(道元禅師)の師匠の師匠である雪竇智鑑禅師が衆僧に説示して言われた。 釈尊には言葉にならないところの神秘的な言葉があり、迦葉尊者は一切のものをさらけ出して何も隠していない。それが我々の生きている現実の世界の実情である。その様な実情を詩の形で表現するならば、「昨夜は一晩中雨が降って花を散らしてしまった、今日は街中に流れている水という水が、えも知れぬ芳香を保っている」 雪竇智鑑禅師の言葉について道元...
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正法眼蔵 蜜語 15
道元禅師の「蜜語」についての注釈はまだ続きます。 一般的に言うならば、人に釈尊の教えを説法する場所においては、それを聞いて納得する時点においては、、例外なしに神秘的な何かを人に提示するのであり、神秘的な何かが聞く人にもそのまま受け入れられてわかるのである。その様な事実というものが釈尊以来代々の祖師方によって正しく継承されて来たところのものである。いま我々が生きている現在の時点と言うものは、言葉で表...
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正法眼蔵 蜜語 14
道元禅師の密語についての注釈はまだ続きます。銘記せよ。仏道修行をして真実と一体になっている時点においては、声に出さなくても自分の意思は十分に相手に伝わっているし、その行いは十分に現実の場面に現れていると言える。ここで言っている「密」というのは親密と言う意味である。その事はお互いの関係が切断しない事であり、途切れが無い事であり、一切の人々が真実を得た人と同じ状態になっている事であり、一切の問題に関連...
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正法眼蔵 蜜語 13
道元禅師の密語についての注釈はまだ続きます。一般論として、釈尊には音は聞こえていないが意味を伝えるような言葉があるし、人が見ていようと見ていまいと自分の真実にそった行いというものがあったし、人が知ろうと知るまいと独自の体験というものがあった。ところが愚かな人々が考えるには「密」という言葉の意味は、他の人は知らず自分だけが知っており、これを知っている人もあれば知らない人もあるところのものだと考えてい...