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カテゴリ:49・説心説性のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 説心説性 21

    道元禅師の「説心説性」に関する注釈は続きます。銘記せよ。中国における唐の時代から今日に至るまで、精神(心)を説き本質を説く事が釈尊の説かれた真実である事をはっきりと了解する事が出来ずに、理論においても、実践においても、体験の世界においても、精神(心)を説くとはく何か、本質を説くとは何かと言う事が十分にわからないままに、わけのわからない事をでたらめに主張する憐れむべき人が非常に多い。その様な人に対しては...

  • 正法眼蔵 説心説性 20

    道元禅師の「説心説性」に関する注釈は続きます。我々の日常生活において、煩わしさを完全に取り去った状態だけをひたすら期待していると考える必要は必ずしもない。洞山禅師の「自分はすっかり枯れ切ってしまったけれども、今度はにわかに生き返って生き生きとした境地に入った」という言葉は、人間に関連したところの精神を説き本性を説くと言う事がどういうものであるかを、洞山良价禅師の声や姿を通じて現実のものとして現れた...

  • 正法眼蔵 説心説性 19

    道元禅師の「説心説性」に関する注釈は続きます。空間的には天地一杯の広がりを持ったものではあるけれども、時間的に考えていくならば、過去というものを考えた場合に、それは瞬間的な時間の問題であって前後は断ち切られている。現在というものを考えた場合にも、やはり瞬間において現在を考えているのであって前後は断ち切あられている。将来というものを考えた場合にも、やはり瞬間における状態であって前後は断ち切られている...

  • 正法眼蔵 説心説性 18

    道元禅師の「説心説性」に関する注釈は続きます。この問答に関連して洞山禅師が「貴方から質問を受けたことによって、自分は様々の煩わしさをすっかり捨ててしまって、すっかり枯れ切った境地に到達した」と言われた。この洞山禅師の言葉を聞いたところの仏道を学んでいる凡庸な人々が考えるには、精神を説き本質を説いている人間が誰かいて、それが言葉では表せない何らかの人格だという主張が行われ、それによってすっかり枯れき...

  • 正法眼蔵 説心説性 17

    道元禅師の「説心説性」に関する注釈は続きます。精神(心)を説く本質を説くという事は、真実を得た人とは何かという事を説き、仏教界における諸先輩とは何かという事を説く事と少しも違わないから、耳でもそのような教えを聞くことができるであろうし、眼でもそのような教えを見ることができるであろう。それに関連して神山僧密禅師は「それは言葉では説明する事の出来ない誰かである」という答えをした。この言葉が口に出せる以上...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

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