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カテゴリ:44・空華のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 空華 31

    慧徹禅師と僧侶の問答について道元禅師の注釈は続きます。この様な事情というものをこの石門山の慧徹禅師だけはさすがに知っていた。我々の人生の一切のものは、初めも、中ごろも、終わりもすべて現実にこの地面に根ざしたものでしかないと言う事である。この様に我々の問題の捉え方が現実そのものに根ざしているまさにその瞬間においては、一切の問題、一切の現実というものは我々が立っている大地から生まれて来るのであり、大地...

  • 正法眼蔵 空華 30

    大宋国における石門山の慧徹禅師は梁山縁観禅師の門下における長老であった。ある時、僧侶が慧徹禅師に質問して言う:一体どのようなものが、寺院内における最高の価値でありましょうか。慧徹禅師答える:実在するかどうかわからない現象(姿)や仏教上の抽象的な論議は我々が生きているこの大地を基盤にして、現実の生活の中から生まれて来るものであり、また国全体というものを捉えようとしても入口がどこにあって、何処から入れば...

  • 正法眼蔵 空華 28

    瑯椰慧覚禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。銘記せよ。仏道においては十方仏(あらゆる方角におられる真実を得られた方々)と言う言葉があるけれども、その「十方仏」という言葉の通り、我々の住んでいる世界にはあらゆる方角に真実を得られた沢山の方々がおられるのである。しかしその真実を得られた方々というものは、本来、眼を通して見えるものであるという実情である。あらゆる方角におられる真実を得られた沢山の方々...

  • 正法眼蔵 空華 27

    瑯椰慧覚禅師が言われた。この世の中には真実を得られた沢山の方々がおられて、それは非常に素晴しい事ではあるけれども、本来それらの真実を得られた方々は眼に見えている姿に過ぎない。そのことは逆の立場から言うならば、眼に見えているものはぜんぶ現象であって実体がないかもしれないと言えるかもしれないけれども、そのような目に見える実在ではないかもしれない姿というものが何かと知ろうとするならば、その実在ではないか...

  • 正法眼蔵 空華 26

    至真禅師と霊訓禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。空華(実在するかどうかわからない現象) というものをいま自分が見ていると言う考え方に立つならば、自分の眼にあるところのかげりというものが全てなくなるであろうし、また自分の眼は実在しないものをあるように見る可能性もあると言う事がわかっていると、諸々の眼のかげりというものが全てなくなると言えるであろう。この様なところから、眼にかげりがあり自分の眼...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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