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カテゴリ:42・全機のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 全機 9

    圜悟克勤禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。雲巌禅師が「観音菩薩」に関する質問をした時に、道吾禅師は「我々の人生というものは、人が夜中に夢うつつの中で手を後ろに回して枕を手探りで見つける様な(無意識な本能的な)動作であろう」と答えた。これは数で数える事の出来ない様な無数の神秘的な働きや輝きと言うものがこの世の中にあり、我々の生き死にの中にあればこそ現実に生まれてくるところである。この様な実態...

  • 正法眼蔵 全機 8

    圜悟克勤禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。我々の住んでいる世界の実態を考えてみるならば、たった一つの大地というものがあり、たった一つの空間と言うものがあって、そのたった一つの大地、たった一つの空間の中で生きるという事も全機能の発現をし、死ぬと言う事も全機能の発現をすると言う形のものではない。つまり大地とか空間とかという客観的な世界が一つのものとして、基準としてあって、その中で生き死にがあ...

  • 正法眼蔵 全機 7

    圜悟克勤禅師の言葉...

  • 正法眼蔵 全機 6

    圜悟克勤禅師が言われた。「生きるという事は全機能の発現であるし死ぬという事も全機能の発現である」と。※西嶋先生解説私は若い時にこの生也全機ノ現、死他全機ノ現(生きるという事は全機能の発現であるし死ぬという事も全機能の発現である)という言葉を読んだ時にわりあい生き死にの問題について決着がついた、という記憶があるわけであります。それまでは生きるという事と死ぬという事とは全く別の事であって、人は誰でもなる...

  • 正法眼蔵 全機 5

    「生きる」と言う事実を観察してみると、たとえば人が船に乗った時のようなものである。この船においては、自分自身が帆を使い、自分自身が舵を取り、自分自身が棹をさすのである。ところが逆に考えてみると、船が自分を乗せているのであって、自分自身が棹を使って一所懸命に舟を動かしているつもりでも、実は船に乗せられて船の行くままに動かされているという事情もある。さらに考えてみると、自分が船に乗っていると言う事が、...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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