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カテゴリ:41・画餅のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 画餅 19

    先師天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。この様に考えてくると、我々の住んでいる宇宙全体、あるいはこの現実の世界全体というものも一幅の画に他ならない。。故に人間の世界も釈尊の教えも一幅の画から生まれてくるのであり、真実を得られた方々も概念的な思想体系から生まれてくると言う面もある。画にかいた餅という概念規定を通してでなければ飢えをふさぐに足りる様な良薬というものはあり得ない。観念的な...

  • 正法眼蔵 画餅 18

    先師天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。芭蕉のような具体的な事物がこの様な力を奮い起こす事によって、物質的要素(地・水・火・風)も初めて活躍が出来るのであり、精神的要素(心・意・識・智慧)もその任務を達成するのである。この様なところから芭蕉の様子を見てみるならば、春・秋・冬・夏と言う季節の変化を自分の道具として芭蕉なりの生き方をしている。この様な形で、眼の前に見えている背の高い竹も、目...

  • 正法眼蔵 画餅 17

    先師天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。我々の住んでいるこの宇宙全体と言うものも、目の前に見えている背の高い竹の根であり、幹であり、枝であり、葉であるに過ぎない。この様に目の前に見えている背の高い竹と同じ性質のものであればこそ宇宙が永遠の存在としてあり得るのである。また大海原、須弥山、宇宙と言うものも、具体的に目の前に生い茂っている長い竹と同じ性質のものであればこそ、堅牢...

  • 正法眼蔵 画餅 16

    亡くなった自分(道元禅師)の師匠である天童如浄禅師が言われた:眼の前に見えている背の高い竹も、眼の前に見えている青々とした芭蕉も、まるで一枚の絵に見える。先師天童如浄禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。この言葉は長いとか短いとかと言う相対的な区別を乗り越えて、しかもこの世の中を一つの画としてまとまった意味のある存在として勉強された方の言葉である。背の高い竹とは長い竹の意味である。中国思想の陰陽...

  • 正法眼蔵 画餅 15

    雲門文偃禅師にあるとき僧侶が質問した:仏(真実を得た人)をも超越てしまうような境地における議論とは、一体どのようなものでありましょうか。雲門文偃禅師言う:米の粉でつくった餅だ。※西嶋先生解説 これは決して理屈に合わない事を言われた訳ではない。真実を得た人を超越した境地はどういう事かと問われ、現実そのものだと言われたわけであります。現実そのものと言ってみても、一つの言葉であり抽象概念でありますから、現...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名 幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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