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カテゴリ:38・身心学道のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 身心学道 30

    圜悟克勤禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。日常の生き死にを素材として全宇宙すなわち真の人間の体は、生死そのものが体をひるがえし、頭の中の考えを切り替えるという事をやっているのである。その点では、宇宙の中で生き死にそのものが体を動かして行動し、頭の中で活躍して我々の考え方を様々に変化させて行くのである。我々の人生というものは、決して抽象的な無限のものだとか非常に大きいものだと言う事ではなく...

  • 正法眼蔵 身心学道 29

    圜悟克勤禅師が言われた。生きるという事も全機能の発現であるし、死ぬという事も全機能の発現である。生きるという事も死ぬという事も我々の住んでいる宇宙の空間いっぱいに広がっていて、我々の日常生活というものは与えられた瞬間瞬間に真心を発揮していくだけである。圜悟克勤禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。この言葉を静かに考えて詳細に検討すべきである。圜悟克勤禅師はかつてこの様に言われたけれども、なおや...

  • 正法眼蔵 身心学道 28

    百丈大智禅師の言葉に関連した道元禅師の注釈は続きます。生きることは何かというならば、趙州従諗禅師が庭先の栢樹子という抽象的な言葉によって仏道の中心的な問題を説かれたのと同じような事情であるし、死とは何かというならば、鉄の様に自己の信念を固持して屈しない人という象徴的な説明もできる、そして庭先に生い茂る生々とした柏樹子の木は柏樹子の木として、他のものではないものとして現に庭先に生い茂っているけれども...

  • 正法眼蔵 身心学道 27

    百丈大智禅師の言葉に関連した道元禅師の注釈は続きます。我々の日常生活を考えてみるならば、凡人とか聖者と言う区別を乗り越えたという事だけが、本当の人間の身体そのものであると言う言葉の意味ではなくて、凡夫の生活に似たような七転八倒の生活の中にも、やはり本当の人間の身体そのものであると言われる様な実態があるという事も同時に理解しなければならない。その様な日常生活は昔から仏教的な理論で二種、七種等様々な種...

  • 正法眼蔵 身心学道 26

    百丈大智禅師の言葉に関連した道元禅師の注釈は続きます。仏道修行のために家庭生活を離れて山に入るという仕来りは、傍目には哀れな姿に見えるかもしれないが、山中における木こりの姿と同じものだと見誤ってはならない。仏道修行においても様々の想念が次から次へと湧き起こって来る、片時ものんびりしていられなくて日常生活において努力しなければならないという状態ではあるけれども、自由を奪われて農家で働かされている小作...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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