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カテゴリ:37・光明のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 光明 19

    羅漢桂琛禅師が言われた。「典坐和尚(寺院における炊事係)は、庫裡(台所)に入って食事の準備に余念がない」と。羅漢桂琛禅師言葉について道元禅師が注釈されます。寺院生活において、炊事係である僧侶が食事を作ろうと庫裡の中に入って行ったこの情景は、七仏(釈尊以前におられた六人の真実を得られた方々と釈尊とを言う)がおられた遥か以前の事柄であり、その事は永遠の意味を持った事柄である。この様な日常生活のき...

  • 正法眼蔵 光明 18

    雪峰義存禅師がたくさんの人々に説示して言われた。「坐禅堂の前で皆さんといまお会いした、そしてそのお会いする事がすでに終わった」と。雪峰義存禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。この状況を考えてみるならば、雪峰義存禅師ご自身の体全体が生き生きとした眼の玉になって、一切がありありと見えていた境地を言うのであり、雪峰義存禅師が雪峰義存禅師ご自身を覗き見ることのできた時期である。自分とは何かという事を...

  • 正法眼蔵 光明 17

    雲門文偃禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。と今ここに言う雲門文偃禅師、過去七仏、達磨大師、大鑑慧能禅師、我々の行動、我々の生命というものが、坐禅堂、仏殿、厨庫、三門と同じだ、それが光明だと仮に理解したとしても、その真実を得られた方々がいづれも一人一人の人間である事には変わりがない。その様な個々の人々であるから、個々の人々と言う言葉で表わされたものではなくて、具体的な現実の人を意味するので...

  • 正法眼蔵 光明 16

    雲門文偃禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。説法を聞いている人々が返事をしなかったので、雲門文偃禅師が自分で変わって答えて言うには、「個々の人々が持っている光明というものは、眼の前に見えている坐禅堂、仏殿、厨庫、三門である」と。いまここで雲門文偃禅師が「自ら代わって答える」という意味は、雲門文偃禅師が自分自身に代わって言われたという意味である。同時に説法を聞いている沢山の人々に対して自分が...

  • 正法眼蔵 光明 15

    雲門文偃禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。このように考えてくると、個々の人々が悉く持っている光明(輝かしさ)とは何かと言うならば、現に眼の前に生きているところの個々の人々の事である。それは光明によって保たれているところの個々の人々である。そこで私(道元禅師)は雲門文偃禅師に質問してみたい。「お前さんは個々の人々という言葉を使っているけれども、個々の人々というのはいったいどういう意味...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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