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カテゴリ:35・阿羅漢のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 阿羅漢 8

    言葉を通して理論的に仏教を説いていく教典の中では、究極の境地である阿羅漢というものが実は真実を得た仏の境地と同じであると主張している。ここで主張されている事は、まさに釈尊の説かれた真実そのものの体験であり解明である。それは単に議論だけで仏道を論議している人々だけが持っている思想と言うわけではない。阿羅漢と仏の境地とが同じだと言う考え方が釈尊の説かれた教えにおける共通の原則である。阿羅漢とは声聞乗の...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 7

    法華経の方便品において釈尊が言われている。もし仮に自分の弟子が、自分で「私は阿羅漢(声聞乗の最高の境地に達した人)である、辟支仏(縁覚乗の最高の境地に達した人)である」と言った人がいたならば、その人は仏はただ菩薩(行いを通して仏道を勉強する人々)のみを教化すると言う事実を聞いてもいないし知ってもいない。この様な人々は弟子でもないし、本当の意味で阿羅漢でというわけにはいかない。釈尊の言葉について道元禅師の...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 6

    「自分たちは今まさに本当の意味での阿羅漢になりえた。釈尊の説かれた真実と言うものを言葉にして、それらの言葉をこの世の中の一切のものに聞かせよう」という言葉が「妙法蓮華経」の中に説かれている。道元禅師が「妙法蓮華経」の中に説かれている言葉について注釈されます。一切のものに釈尊の教えを聞かせようと言う言葉の趣旨は、この世の中に存在するすべてのものを釈尊の教えを説くところの声とすると言う事である。人が阿...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 5

    法華経に言っている阿羅漢について道元禅師の注釈は続きます。阿羅漢が持っている神秘的な働き、坐禅によって得られる身心の安定、釈尊の教えを説く事、教化して人を導く事、輝かしい光を放つ事などは仏道を信じていない人々における主張と同じはずがない。龍樹菩薩の「大智度論」の中では、阿羅漢の境地と言うものは100の仏の世界を見るものだと説かれている。その様な問題に関しても、凡夫が考えているような見方でそれを判断し...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 4

    法華経に言っている阿羅漢について道元禅師の注釈は続きます。この様な状態に阿羅漢はおかれているのであるから、目の前の垣根が垣根として、眼の前の壁が壁として、眼の前の瓦が瓦として、眼の前の小石が小石としてちゃんと見えるのである。ここで心が自由自在の境地に達したと言われているけれども、その境地とは心が全機能を発現している状態である。また阿羅漢の境地として様々な障害が全くないと言う言葉で形容されているけれ...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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