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カテゴリ:32・海印三昧のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 海印三昧 30

    曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。宇宙というものは前の瞬間においても後の瞬間のおいても、それぞれの瞬間に応じてそれなりの内容を持っている。この宇宙の中で行われている様々の動きは、決して生命と無関係という事ではない。その事情を仮に言葉で譬えて見つならば、一人の盲人がたくさんの盲人を誘導している状況だと言える。一人の盲人が沢山の盲人を誘導すると判定する基礎になっている理論は、...

  • 正法眼蔵 海印三昧 29

    曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。ここで包含(一切のものを包み込む)と言う表現が使われているけれども、この包み込むと言う意味は執着という事ではない。包含という事はとどめないと言う事でもある。その事は拘束されない、こだわらないと言う事に他ならない。我々の住んでいる世界というのは、人間が考えているように、こだわりのある世界、囚われた世界という事ではない。仮に我々の住ん...

  • 正法眼蔵 海印三昧 28

    曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。「この宇宙というものは死に絶えた者は取り付いている事ができないと言われたけれども、一体それはどうしてそうなんでしょうか」と僧侶が聞いたけれども、この質問は言葉の外見からすると、僧侶が疑問をもってこの質問をしたように見えるけれども、この僧侶も仏道の究極を承知していて質問の形で自分の主張を説いたものであろう。この僧侶と同じ様な優れた弟子の例と...

  • 正法眼蔵 海印三昧 27

    曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。例えば、杭州の多福禅師が我が身の日常生活を竹にたとえて述べられた事に似ている。※西嶋先生解説ある僧侶が多福禅師に対して「多福禅師と呼ばれる方の人柄は、一叢の竹に譬えるならば一体どういう状態でしょうか」という質問をした。多福禅師は「自分の竹やぶには1本、2本と斜めに生えている竹もある」と答えた。そのことは抽象的な一叢の竹というふうな総合的な捉...

  • 正法眼蔵 海印三昧 26

    曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。この宇宙が厳然として存在すると言う時点に立つならば、仮にその中における山というものを取り上げて見ても、その山が常に高くて、その上に我々が立っていると言う事だけが山の性質ではない。水というものを考えてみても、水にも様々の現れ方があって、海の水もあれば、茶碗の中の水もある、草の葉に宿った一滴の水のあり方もある。非常に大きな深い海の底を行くとい...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名 幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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