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カテゴリ:31・行持(下) のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 行持(下) 63

    道元禅師が「行事の巻」最後の主張を述べます。静かに考えてみる必要がある。人の一生はその長さから言うならばそう大したことはない。釈尊と同じような境地の言葉が仮に3つとか2つとかほんの僅かでも言えたという事は、釈尊ご自身の境地を言葉にして言う事が出来たのと同じ意味がある。なぜかと言うと、釈尊の説かれた教えや釈尊の境地というものは、体と心が全く一つのものだと言う事が原則であるから、仮に1つの言葉、2つの言...

  • 正法眼蔵 行持(下) 62

    天童如浄禅師の教団に綿州の出身で道昇という名前の人がいた。道昇は老子や荘子の教えを勉強している人であり、その仲間は5人いた。それらの仲間5人が一斉に誓いを立てて言うには、「我らは生きている間に、必ず釈尊の説かれた偉大な教えを理解して我が身のものにしよう。それが達成されるまでは決して郷里には戻るまい」と。この様な5人に対して天童如浄禅師は非常に喜んでおられたので、経行についても坐禅についても、いずれも...

  • 正法眼蔵 行持(下) 61

    天童如浄禅師(道元禅師の亡き師匠) と趙提挙の問答は続きます。天童如浄禅師言う。   貴方は聡明でいま述べた私の説法をはっきりと理解され、甚だ恐れ多いとことだと思う。貴方がこの席においでになっただけでも幸いであり嬉しく感じる。そしてさらに望ましい事は、貴方のような高貴な方の臨席を得、しかも最後までお付き合いいただくという光栄に浴したのであるから、愚僧が正式の説法をした時にどの様な教えを説いたか試しに...

  • 正法眼蔵 行持(下) 60

    天童如浄禅師(道元禅師の亡き師匠)に関連して道元禅師の話は続きます。趙提挙という人は、嘉定年間の中国の皇帝であった寧宗皇帝と血筋の繋がった孫であり、明州の軍総監であり、地方における農業の管理をする長官でもあった。天童如浄禅師を都に招待して正式の説法をお願いしたときに、銀の延べ棒を一万鋌、布施として天童如浄禅師に差し上げた。天童如浄禅師は正式の説法が終わってから趙提挙に向かって感謝して言う。自分は先例...

  • 正法眼蔵 行持(下) 59

    天童如浄禅師に関連して道元禅師の話は続きます。亡き師匠である天童如浄禅師が略式の説法をして常々言うには、「自分は19才の時から様々な地方に行って寺院を訪ね仏道の修行をしたけれども、人を訓育するに足る師匠はいなかった。そして19才で仏道に入った時以来、一日一夜と言えども坐禅のための蒲団を使わなかった日夜とてはない。自分はまだ寺院の住職にならないとき以来、村里の人々とあまり話を交わす事をしなかった。なぜ話...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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