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カテゴリ:31・行持(下) のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 行持(下) 10

    「石門林間録」の中に出て来る達磨大師の話に関連して道元禅師の注釈は続きます。中国においては天体の様子や自然の地形の様子を勉強する事によって、天・地・人というものの理解がついてきた帝王もいたわけであるけれども、まだこの様な優れた君主の教化に出会っていないわが国(日本)の人々は、帝王に仕えるとはどの様な事か、親に仕えるとはどの様な事か、それらの事をどう学んだらよいのかがわかっていない。その点では、この国...

  • 正法眼蔵 行持(下) 8

    「石門林間録」の中に出て来る達磨大師の話に関連して道元禅師の注釈は続きます。俗世間において受けた恩でさえ、人々はそれを忘れる事なく大切にする人は多い。そしてその様な人を人間と呼ぶのである。達磨大師がインドから中国に坐禅をもたらされた大きな恩と言うものは、父や母の恩よりも優れている。また達磨大師の慈愛というものは、親子の間の情愛と比較にならない程の深さを持っているであろう。我々は非常に卑しい分際であ...

  • 正法眼蔵 行持(下) 7

    「石門林間録」の中に出て来る達磨大師の話に関連して道元禅師が注釈されます。この様な記述から見るならば、達磨大師が梁の国から魏の国に行ったという事実は疑いようがない。そして嵩山の麓を通過して少林寺に滞在された。そして達磨大師は少林寺で壁に向かって坐禅をしていたけれども、それは悟りを開くために坐っていたのではなくて、坐禅している事そのものが悟りだと言う境地で坐っていたのである。達磨大師はインドからたっ...

  • 正法眼蔵 行持(下) 6

    覚範慧洪禅師が作られた「石門林間録」には、中国の仏教僧についての様々な伝記や逸話が記されている。「石門林間録」の達磨大師についての記述によれば、達磨大師は最初に行ったのが梁の国で、それから魏の国に行って、嵩山の麓を通過し少林寺に逗留した。少林寺では壁に向かい坐禅を一心にしているだけであった。達磨大師は坐禅をやる事によって、坐禅をやる事以外の目的(悟り)を追求していたわけではない。しかし長い期間にわた...

  • 正法眼蔵 行持(下) 5

    達磨大師は釈尊から数えて第28代目の正統な後継者である。しかも父の国王が領有していた大きな国を離れて、中国の人々を救済しようとされたのであるから、誰が肩を並べる事ができよう。もし達磨大師がインドからはるばると中国に渡来することがなかったならば、中国の人々はどうして釈尊の説かれた正しい教えを見たり聞いたりする事ができたであろう。達磨大師が中国に仏道(坐禅)を伝えなかったならば、中国の人々は単に仏教を学問...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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