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カテゴリ:29・恁麼のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 恁麼 25

    ある時、曹谿山の大鑑慧能禅師が南嶽懐譲禅師に説示した。「この現実の世界というものは、言葉では表現できない何かが現にこの様に目の前に現れておる。それが現実の世界の実態だ」と。この大鑑慧能禅師の言葉の意味は、言葉では表現できない何かと言うものは、疑う事の出来ない現実であるけれども、理解しようとしても理解できるものではない。我々の住んでいる現実の世界は、言葉では表現できない何かと言われているのである。こ...

  • 正法眼蔵 恁麼 24

    石頭希遷禅師と薬山惟厳禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。この様なところから考えて来ると、我々が住んでいる世界のどこにでも行き渡っている真実の働きは、それが限りがあると言う捉え方もできるし、また無限だと言う捉え方もできるけれども、有限だとか無限だとかというどの様な捉え方をしても、それが現実に我々の生きている世界に行き渡っている真実の働きを説明するわけにはいかない。結論を言うならば、言葉で...

  • 正法眼蔵 恁麼 23

    石頭希遷禅師と薬山惟厳禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。薬山惟厳禅師の質問に石頭希遷禅師が答えて言う。言葉では表現できないというふうなことを言ってみても、それで南方の国々に行われていると言われている「直指人心見性成仏」と言う考え方を説明するという事にはならない。また言葉で表現できないと言う事だけではないと言うふうな説明をしてみても、それによって南方に行われている仏教の考え方を説明するわ...

  • 正法眼蔵 恁麼 22

    あるとき薬山惟厳禅師が石頭希遷禅師に質問した。自分は三乗(声聞・縁覚・菩薩)や、十二分教(契経・応頌・記別・諷頌・自説・因縁・譬喩・本事・本生・方広・希法・論議)等の経典に代表される仏教の哲学的な理論というものは承知しております。しかしかつて南方の国には直指人心見性成仏と言う考え方があると言う事を聞きましたが、実際のところその意味がどう言う事なのかまだはっきりとはわかっておりません。そこで伏してお願い致...

  • 正法眼蔵 恁麼 21

    我々は恁麼人(言葉では表現する事のできない人間としての存在)であるから、中国の六祖大鑑慧能禅師も突然真実を得たいと言う気持ちを起こされたという事に他ならない。その真実を得たいという気持ちを起こして、大鑑慧能禅師はとうとう黄梅山に登り、大満弘忍禅師に拝謁して弟子になったのであるが、大満弘忍禅師は大鑑慧能禅師をとりあえず行者の住む建物に入れた。そして大鑑慧能禅師は毎夜米を搗くという事を仕事にしていたので...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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