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カテゴリ:28・仏向上事のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 仏向上事 10

    大先輩である洞山悟本大師が説示されて言う。我々は仏向上人(真実を得た後も、なお真実を求めて一所懸命生きていく人)があるという事を知らなければならない。そこで僧問うその仏向上人とは、一体どういう人を言うのでしょうか。洞山悟本大師言う。それは真実を得た人と言うふうな抽象的な名前で呼べる人ではない。 同じ質問について雲門禅師言う。「仏向上人」というものは、何か名前をつけて呼ぶわけにいかないし、それがどんな...

  • 正法眼蔵 仏向上事 9

    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。洞山悟本大師が「わしの場合でも、しゃべらない時点が来た時に、初めて人の言葉が耳に入って来る」と言われている言葉の状況にこそ、まさに多少は話相手になるという力量がふくまれている。この様に多少は話相手になる力量を具えているという状況が「仏向上事」を体得した状態である。それは真実をすでに得てしまった後も、その真実を得たという事が少しも外に目立たずに...

  • 正法眼蔵 仏向上事 8

    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。そしてまた、人の言葉が耳に入る時は、日常会話から全くはずれて第三者的な立場にいるんだと言うふうな頭の中だけの捉え方でもない 。なぜかというと、人の話を聞いている時には一所懸命聞いている、つまり、相手の話し相手になって一所懸命相手の話を聞いている状態であるから。その点では、 人の話が耳に入っている時、人の話を聞いている時には、日常会話というものが...

  • 正法眼蔵 仏向上事 7

    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。さらに僧侶が「和尚の様にすでに真実と一体になった方にとっては、話をしながら人の話も聞けると言う事があるんでしょうか」と質問したけれども、ここに言っている意味は和尚を問題の対象として「和尚ならば話をしている時にも、人の話を聞くに違いない」と想像したわけではない。またこの質問をした対象が洞山悟本大師自身と言うわけでもない。しかしながらこの僧侶が現...

  • 正法眼蔵 仏向上事 6

    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。この様な具体的な、舌や耳や眼や体や心とかいうものを素材にして我々の日常生活が行われているのであるから、人が話をしている時には、相手の話が耳に入らないと言うごく普通の日常会話があり得るのである。舌や耳や体や心とかという素材だけを取り上げて、それが会話の実態だと主張してはならない。人の話を聞いていないということが、自分が話をしているという事と一致...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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