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カテゴリ:27・坐禅箴のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 坐禅箴 50

    道元禅師がつくった「坐禅箴」は続きます。坐禅によってそこに現れてくるものは、きわめて自然な体験である。作為的にこうしよう、ああしようということで生まれてくるものではなくて、何の意図を持たなくても、ただ足を組み、手を組み、背骨を伸ばせばすぐに現れて来るものであるから、間違っている、間違っていないと言うふうなものは超越してしまっている。そして、いいとか悪いとかと言う差別を乗り越えた直接の体験であるから...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 49

    自分(道元禅師)がつくった「坐禅箴」は次なようなものである。坐禅に関する戒めとして、仏教界において真実を得られた過去の先輩方や指導者の方々が大切にされていたところのものは、頭の中で考えない状態の中に姿を現わしており、何の複雑さと言うものもなしにすでに目の前にでき上がっている。西嶋先生解説これは坐禅の事をそのまま言われたわけで、坐禅というのは、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして坐っていることが坐禅であ...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 48

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。人の価値を見抜くだけの眼力がある場合には、どの人が真実を得ているか承知する事が可能なはずである。宏智正覚禅師の優れた素質や優れた力と言うものを十分に承知しておられた天童如浄禅師は、人の価値を知り、真実を得た人が誰であるかということを十分に知るだけの力量を具えていたという事ができる。そこでまさに知ることができる、洞山良价禅師の立てられ...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 47

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。宏智正覚禅師の書かれた坐禅に対する戒めと言うものは以上の通りである。過去における様々な時代の長老の中で、宏智正覚禅師の様に坐禅というものの中身を的確に捉えておられる「坐禅箴」は他に見当たらない。諸国には様々の仏道修行をしている人々がいるけれども、いま仮に宏智正覚禅師が書かれた坐禅箴と同じ程度の坐禅箴を書こうとするならば、たった一回き...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 46

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。鳥がこの空というものを飛ぶならば、空を飛ぶという事だけがある。しかも空を飛ぶということは、こういうものだと言葉では説明がつかない。鳥が空を飛ぶという事は宇宙そのものである。宇宙とは何かといえば、鳥が一所懸命に空を飛んでいる事実そのものである。この飛ぶという事が一体どのような大きさのものであるかという事がわからないとしても、頭の中で考...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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