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カテゴリ:27・坐禅箴のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 坐禅箴 48

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。人の価値を見抜くだけの眼力がある場合には、どの人が真実を得ているか承知する事が可能なはずである。宏智正覚禅師の優れた素質や優れた力と言うものを十分に承知しておられた天童如浄禅師は、人の価値を知り、真実を得た人が誰であるかということを十分に知るだけの力量を具えていたという事ができる。そこでまさに知ることができる、洞山良价禅師の立てられ...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 47

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。宏智正覚禅師の書かれた坐禅に対する戒めと言うものは以上の通りである。過去における様々な時代の長老の中で、宏智正覚禅師の様に坐禅というものの中身を的確に捉えておられる「坐禅箴」は他に見当たらない。諸国には様々の仏道修行をしている人々がいるけれども、いま仮に宏智正覚禅師が書かれた坐禅箴と同じ程度の坐禅箴を書こうとするならば、たった一回き...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 46

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。鳥がこの空というものを飛ぶならば、空を飛ぶという事だけがある。しかも空を飛ぶということは、こういうものだと言葉では説明がつかない。鳥が空を飛ぶという事は宇宙そのものである。宇宙とは何かといえば、鳥が一所懸命に空を飛んでいる事実そのものである。この飛ぶという事が一体どのような大きさのものであるかという事がわからないとしても、頭の中で考...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 45

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。また坐禅の境地を譬えて言うならば、空が広くてこれという限界がないような状態であり、遠い空を悠々と鳥が飛んでいるような状態である。この場合の「空が広い」というのは、我々が住んでいる現実の空というものを言っているわけではない。我々の普段見ている空というものは、いくら広いといっても無限の広さを持ったものではない。まして、あそこ、ここという...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 44

    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。坐禅の中身は、結局その岸の上に立って測量する足場になる様な岸というものがあるわけではない。またそういう無限の世界というものが中に浮かんでいるような空間というものもない。そういう膨大な世界というものが下に沈んでいって底に行き着くという事でもない。坐禅の中身は一体どんなものだろうと考えてみる人もいない。※西嶋先生解説坐禅というのはこうい...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。 コメントお待ちしています。

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