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カテゴリ:26・大悟のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 大悟 19

    米胡禅師の弟子と仰山慧寂禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。悟りを得た後、様々な思いを起こし、様々の迷いを持つと言う事も、悟りの中における迷いと言う捉え方も出来る。確かに迷っているけれども、やはり悟りの中の一部でしかないと言う理解も出来る。そういう点では、我々の頭というものは様々に混乱して、百の考え千の考え方が頭の中に充満してどうにもならないと言う事があったとしても、それもまた悟りであろ...

  • 正法眼蔵 大悟 18

    米胡禅師の弟子と仰山慧寂禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。しかも仰山禅師の回答が「悟りと言うものはないわけではないけれども、いくら悟ったといってみたところで過去の事も心配になる、未来の事も心配になると言うのが実情だ」と言われたということは、過去の事を心配し、未来の事を心配するのも、悟りの中の出来事だと言われているのである。ここで仰山禅師が、自分の考えが二つに分かれてどっちをとったらいい...

  • 正法眼蔵 大悟 17

    米胡禅師の弟子と仰山慧寂禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。「現在の瞬間に徹して着実に生きている人も、やはり悟りというものが必要でありましょうか」と言う質問は「この世の中に悟りなんてものはあるはずがない」と言っているわけではないし「悟りというものがあるからしっかり修行して早くつかめ」と言う事を言っているわけでもない。「いつか悟りがやってくるから、気長に待ちなさい」と言っているわけもないし...

  • 正法眼蔵 大悟 16

    米胡禅師の弟子と仰山慧寂禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。「現在の瞬間に徹して着実に生きている人も、やはり悟りというものを必要としますか」という弟子の質問についても静かに参究し、従来の考え方と言うものを頭を切り換えて十分に考えてみる必要がある。最近、大宋国において頭をまるめて外見だけは仏道修行をしている人が沢山いるけれども、その人々が言うには「悟る事が目的であってそれ以外に目的はない」...

  • 正法眼蔵 大悟 15

    京兆の米胡禅師が弟子を仰山慧寂禅師の所へ差し向けて質問させた。弟子問う:現在の瞬間に徹して着実に生きている人も、やはり悟りというものが必要でありましょうか。仰山慧寂禅師言う:悟った、仏道わ分かったと言う事実がないわけではない。しかし、仏道と言うものがわかったとしても、自分の日常生活においては、過去の事をくよくよ考えたり、まだ来ない未来に対してそわそわしたりと言う事がないわけではない。そういうことを...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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