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カテゴリ:23・行仏威儀のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 行仏威儀 51

    この様な宇宙が真実を説いていると言う考え方からするならば、三世諸仏(過去・現在・未来と言う永遠の時間の中で真実を得られた方々)は、過去・現在・未来のあらゆる時間において、宇宙によって教えられているのである。三世諸仏は過去・現在・未来のあらゆる時間において、真実そのものによって教えられているのである。三世諸仏は過去・現在・未来のあらゆる時間において、自分自身によって教えられているのである。我々の日常生...

  • 正法眼蔵 行仏威儀 50

    我々は仏道修行を一所懸命やっているのであるが、圜悟克勤禅師の様に、この天地が非常に激しい炎となって燃え盛っていると言う実感までは得られないかもしれないとしても、疑いもなく我々は大きな天空の下で日常生活を送っているのであるから、その天空の下で行われている我々の個々の生活と言うものは、はっきり自分たちの領分として持ち続けている。そしてまた自分以外の人々、あるいは自分を包んでいる客観の世界も、ぞれぞれの...

  • 正法眼蔵 行仏威儀 49

    このように雪峰義存禅師の境地というものは、どちらが正しいとかどちらが正しくないとかという境地を超越した立場で説かれているのであるけれども、玄沙師備禅師もその主張の中には、なるほどと思われることもあるしなるほどと思われないこともある。雪峰義存禅師もある場合には問題を取り上げて検討しておられるけれども、ある面では問題を突き放して主張、その結論を自分自身で言うより人に任せるという態度の説き方もしている。...

  • 正法眼蔵 行仏威儀 47

    銘記せよ。三世諸仏(過去・現在・未来と言う永遠の時間の中で真実を得られた人々)のために、炎が説く教えを大地に立って聞いていればこそ、真実を得た人と言うことができるのである。この様な真実に関する教えを説く姿は、はたから想像して想像できるものではない。それは弓の名人の師匠と弓の名人の弟子とがお互いに弓を打ち合って、その矢と矢とが空中においてぶつかり合って止まってしまったという状態に他ならない。※西嶋先生...

  • 正法眼蔵 行仏威儀 46

    (妙法蓮華経見宝塔品)において釈尊が言われた。「すなわち法華経を説くならば、その説くということが私自身と会うことに他ならない。しかしたった一人のためだけに、教えを説くということは難しいことである」と。この様な経典の言葉から考えていくならば、釈尊の教えを説くという事は、釈尊ご自身にお目にかかる事である。なぜならば釈尊の教えを説くという事は釈尊ご自身が「私自身と会うことに他ならない」と言われているのであ...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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