トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

カテゴリ:20・古鏡のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 古鏡 51

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。。瓦であれ、鏡であれ、一所懸命磨いている時の状態は他の時とは様子が違う。坐禅をやっている時には、はたから想像していた状況と全く状況が違う。しかしながら、ここで南嶽禅師が言っている事は、真実を得られた南嶽禅師の事であるから、まさに真実そのものの言葉であろうし、結局のところは瓦を磨いて鏡を作るという事に他ならないのであろう。したがって、...

  • 正法眼蔵 古鏡 50

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。南嶽禅師は瓦を持ち出してきて、瓦を鏡にすると言う事で馬祖禅師を教えられた。馬祖禅師も自分自身の生身の体で、坐禅を一所懸命やる事を通して仏になっているのであるから、それは瓦を磨いて鏡を作ることでもある。昔からたくさんの祖師方がおられるけれども、その祖師方の骨に髄にそうした教えがしみ込んで今日に至ったのである。我々の体はそれぞれ生身の...

  • 正法眼蔵 古鏡 49

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師が注釈されます。この南嶽禅師と馬祖禅師との間に語られた重大な問題に関しては、この問答が行われてから数百年の間、多くの人に南嶽禅師はただただ馬祖禅師に対して坐禅に励めと言われたと解されている。しかしながらこの解釈は必ずしも当たってはいない。真実を極めた方々の行いというものは、凡人の考える境地をはるかに抜け出ている境地である。真実を極めた南嶽禅師と言え...

  • 正法眼蔵 古鏡 48

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師の問答に入ります。馬祖道一禅師はかつて南嶽懐譲禅師のところで仏道を学んでいた。南嶽懐譲禅師は釈尊と同じ心の姿を馬祖道一禅師に一対一で授けた。それが後に馬祖道一禅師と南嶽懐譲禅師との間で交わされた、瓦を磨くと言う問答の最初の出発点である。その頃、馬祖道一禅師は伝法院と言う庵に住んで、坐禅をする事があまり長い期間ではないがそれでも十余年間に及んだ。その間の、雨の日や夜間の草庵...

  • 正法眼蔵 古鏡 47

    金華山の国泰院弘瑫禅師に対して、あるとき僧侶が質問した。僧問う「我々は、古鏡(永遠の価値を持った鏡)とたとえられておりますが、それを磨かない時はどの様でありましょうか。」弘瑫禅師言う「磨かない時でも、それは古鏡である。」僧問う「では、磨いたらどうなりましょうか。」弘瑫禅師師言う「磨いた後も、やはり古鏡である。」国泰院弘瑫禅師と僧との問答について道元禅師が注釈されます。この問...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

フリーエリア

坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

FC2カウンタ-