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カテゴリ:14・山水経のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 山水経 26

    山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。この宇宙と言うものが様々の実体を持ち、その宇宙を舞台として人間が活動し人間が価値のある業績を残すとするならば、この宇宙そのものが宝と言う事が出来るし、その宝である宇宙の中に山があると言う関係も考える事が出来る。 また山は相対的なもので、水のたくさんある沢があればこそ山がある、低いところがあればこそ高い所があると言う関係...

  • 正法眼蔵 山水経 25

    山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。水と言うものに関連して言えば、この世の中に水が存在するという関係だけではなく、水の中にも、様々な世界が内在すると言う関係でもある。そして、水の中にのみ世界が内在すると言う関係だけではない。雲の中にも生物の世界がある。気体の中にも生物の世界がある。化学変化の中にも生物の世界がある。固体の中にも生物の世界がある。宇宙の中に...

  • 正法眼蔵 山水経 24

    道元禅師が山水(自然)について、仏教の立場でどう考えたらいいか説示されます。場合によっては、昔から賢人や聖人が川の畔に住むこともあった。魚を釣る人もいた。そこを通りかかる人の才能をみて人材を見つけ出す人もいた。真実の教えというものを生活の中で見つけた人もいた。この様な様々な生き方というものは、昔から川の近くに住んでいた人々のやり方である。さらに川に住んでいる生活が進んで自分自身を釣る人もあろう。ただ...

  • 正法眼蔵 山水経 23

    山というものについて道元禅師の注釈は続きます。帝王の政治による力というものが及ぶところは、山にまでは達してない。山の中に入っている賢人や聖人を無理に動かしてどうこうさせるということはない。山と言うものが一般の俗世間とは別の世界であるということを知ることが出来る。崆峒華封の時代には、黄帝と言う皇帝が、山に住んでいた広成と言う人に教えを請いに伺った際には、膝で歩いて頭を地に付けて礼拝したと...

  • 正法眼蔵 山水経 22

    山というものについて道元禅師の注釈は続きます。永嘉大師が「証道歌」の中で「無限に苦しみが続く原因となる様な行動を招かない事を願うならば、釈尊の教えを誹謗してはならない」と言われた。この言葉を、皮・肉・骨・髄に銘記すべきである。肉体・精神・周りの世界の一切のものに銘記すべきである。この我々が住んでいる空間に銘記すべきである。この我々の生活を構成している物質の全てに銘記すべきである。樹や石のような自然...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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