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カテゴリ:19・心不可得(後)のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 心不可得(後) 23

    「心不可得」について道元禅師が注釈されます。またある時、大証国師に僧問う「過去の真実を体得された先輩方がもっておられた心というのは、一体どういうものでしょうか」と。大証国師言う「垣根であり、壁であり、瓦であり、小石である」と。この問答も「心というものはとらえることが出来ないもの」と言う事を、問答の形で説かれたものに他ならない。またある時、別の僧大証国師に問う「真実を得られた先輩方の普段の気持ちとい...

  • 正法眼蔵 心不可得(後) 22

    大証国師と大耳三蔵の問答について道元禅師の主張はまだ続きます。先に述べられた長年の修行を積まれた五人の方々は、そろいもそろって五人とも大証国師の持っておられた性質、実体というものがはっきりわかっていない。釈尊の教えを勉強する上で、まだ力が足りないように思われる。はっきり知っておかなければならないことは、大証国師はあらゆる時代を通じて真実を体得した人として通用する方であり、正法眼蔵(釈尊が説かれた正...

  • 正法眼蔵 心不可得(後) 21

    大証国師と大耳三蔵の問答について道元禅師の主張は続きますこの玄沙師備禅師の言葉を聞いて、雪竇明覚禅師は「敗けた、敗けた」といった。つまり玄沙禅師の言葉の境地が非常に高いから「自分はとてもかないません」と言う事を言った。この「敗けた、敗けた」という言葉は、玄沙師備禅師の言葉が真実であるという見方をした時にこのように言うべきである。もし雪竇明覚禅師がもう少し力量があって、玄沙師備禅師の言葉がどうも本当...

  • 正法眼蔵 心不可得(後) 20

    大証国師と大耳三蔵の問答について道元禅師の主張は続きます。また仰山慧寂禅師は「大証国師は前の二回は外界の世界に意識を移していたが、その後は自分自身と一体となる境涯に入ったので、三耳三蔵は大証国師を見ることが出来なかった」と言っている。この仰山慧寂禅師については、小釈尊と呼ばれるほど仏道の理解においては優れているという評判がインドにまで高く響いていると言われているけれども、このような妥当でない発言を...

  • 正法眼蔵 心不可得(後) 19

    大証国師と大耳三蔵の問答について道元禅師の主張は続きます。さてここで五人の大先輩の方々を自分(道元禅師)が検討してみると、まだまだ不十分なところがある。趙州従諗禅師はこの大証国師と三耳三蔵との問答を批評して「大証国師は大耳三蔵の目と鼻の先にいたから、大耳三蔵の目には入らなかった」と言っているけれども、この説明は一体どういうことなのか。基本というものがはっきりしないうちに末端の話をすると、このような...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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