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カテゴリ:正法眼蔵についてのエントリー一覧

  • 西嶋先生の話 第二話

    「正法眼蔵」について、西嶋先生の話の続きです。釈尊は我々の住んでいる世界での生き方と言うものについて、こういう二つの陥りやすい溝があるということに気付かれてその両方から離れるということを主張された。そのことが現実をよく見ろ、現実と言うもの、法と言うものを、それをよく見て、その法に従って生きていくということが、人間にとって唯一の幸福の道だという主張につながったわけであります。だからあれこれと人間が希...

  • 西嶋先生の話 第一話

    「正法眼蔵」は前回「生死の巻」が終わり一巡しましたが、まだまだ紹介したい先生の話もありますし、さらに「正法眼蔵」を勉強したいと思いますので、新たに「弁道話」の巻からまたブログを始めたいと思います。―幽村芳春―弁道話の巻に入る前に「正法眼蔵」について西嶋先生の話です。まず、この「正法眼蔵」と言う本でありますが、「正」とは、文字通り正しいということ。「法」とは、梵語(サンスクリット語)にダ-ルマという言葉...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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